愛称は「博多千年門」 歴史的名称は「辻堂口門」 (2013/02/14付 西日本新聞朝刊)
福岡市の旧市街地「博多部」の新しいシンボルとして博多区博多駅前の承天寺近くに建設される巨大門の名称が13日、決まった。通常用いられる愛称「博多千年門(せんねんのもん)」と、歴史的名称として使用する「辻堂口門(つじのどうぐちもん)」の二つ。同日、承天寺で開かれた「中世博多をモデルとした景観形成期成会」(会長・石原進JR九州会長)の総会で了承された。石原会長は「名前も決まった博多のウエルカムゲートの完成を楽しみにしたい」とあいさつした。
総会では、門の建設計画も了承された。高さ、幅ともに8メートルの扉付きの門は、ヒノキを主な素材にした木造切妻本瓦葺(かわらぶ)き。ケヤキ造りの「博多千年」の扁額(へんがく)が掛かり、欄間には、博多織伝統の献上柄が彫り込まれる予定。
名称は、期成会が昨年11月に公募し、全国から寄せられた1244点の中から選ばれた。「辻堂口」は、中世以来、大宰府につながる博多側の重要な出入り口とされ、江戸期の史料「筑前名所図会」にも描かれている。愛称は、千年の歴史を持つ博多の街が「未来千年にわたって繁栄してほしい」との願いを込めて、選定されたという。
「博多千年門」を応募し、最優秀賞として表彰された波戸健三郎さん(67)=同市中央区=は「博多の歴史を築いてくれた先人たちに感謝を込めて名付けた」と説明。地元の御供所まちづくり協議会の冨田勝久会長は「博多の人に親しまれ、愛される門、人々が集う門に育てていきたい」と話した。
福岡の寺町の中でも特に歴史的に重要な御供所エリアへの入口にシンボリックなものを造ってもっと関心を高めようというのはいいことだと思いますし、みんなで決めたことにブツブツ言うのは2ちゃんねらーみたいでみっともないと思います。
でも、なんで名前が二つ?
しかも“千年”門…。
詳しくは知らないけれど、ささっと調べたところでは、正式名称の「辻堂口門」は江戸時代に設けられた門(番所)の一つで、新しい門もかつての「辻堂口門」を参考にして造られるのだとか。(参照)
だったら、江戸時代初期からと考えても400年程度。
まあ、このエリアに中世の禅寺ができたころから考えればおよそ千年(正確には800年前後)ということにはなりますが…。
ついでに言っておけば、大宰府ができてこの辺りに東の官道が整備されたのは、たぶん1300年ぐらい前のこと。
しかし、中世の禅寺も戦国時代の戦火に焼けて、今ある建物は江戸時代のものが多かったりするので、江戸時代の門を再現しても、そんなに違和感はないのかな。
小うるさいジジィのぼやきということで、ご勘弁を。
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