こちらは2011年に撮っておきながら、そのまま放ったらかしにしていた香椎の報恩寺(建久報恩孝光禅寺跡)。
由緒書きによると、文治七(1191)年(文治は六(1190)年で終わっているようなので、建久二年の誤りか?)に、後に聖福寺を開く栄西が文治寺を建立。
仁安三(1168)年と文治三(1187)年〜建久二(1191)年に南宋で禅を学んだ栄西は建久三(1192)年に勅許を得て勅賜報恩孝光禅寺をこの地に創建し、初めて禅門授戒の式を行ったのだとか。
扶桑最初禅寺の聖福寺より3年早い禅寺というとになるけど、聖福寺が後鳥羽上皇より「扶桑最初禅寺」の号を賜っているので、他の寺をココが最初と言う訳にはいかなかったのかもしれない。
ここはまた、栄西が中国より持ち帰った菩提樹とお茶の種を日本で初めて植えた場所とされている。
天正十四(1586)年に兵火によって伽藍と菩提樹は焼失。以来400年間は観音薬師の二堂を残すのみだったが、昭和五(1930)年に聖福寺の塔頭・円覚寺の猷山和尚が復興を発願し、報恩寺故地を買収、観音堂を修理。方丈を建立したが、老朽化のため昭和六十(1985)年に復興。菩提樹は東大寺に分植されていたものを分植返ししてもらったらしい。
現在の本堂。 |
本堂の前にある菩提樹。 |
観音堂。 | 五重石塔。 |
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