「慶応2年、私は前将軍・家茂公の急逝から、乞われてバトンを引き継ぎまして、12月5日に15代将軍に就任以来、1年近くたったわけでございます。その間、攘夷を楯に一部の公家衆にとりいった薩長が急激に勢力を伸ばすというそういう状況の中で、困難を承知でお引き受けをしたということであります。
正直申しまして、最初からですね、第二次長州征伐の休戦協定のとりつけ、外圧と攘夷の問題、京都守護職の暴走と新撰組の不祥事等ですね、次から次へと積年の問題が顕在化してきた。こういうことに遭遇をいたしたわけであります。その処理に忙殺をされました。
その中でも将来を見据えながら、目立たなかったかもしれませんけど、これまで誰も手を付けなかったようにですね、尊王目線での改革に着手をいたしました。例えば製鉄所や造船所など近代化施設の建設、軍政改革、対外政策関連諸庁の設置の取りまとめをするといったようなことでございます。兵庫開港の件ではなんとか勅許を得て、薩摩・越前・土佐・宇和島の四侯会議を解散に追い込みました。最終決着はしておりませんけどもね、方向性は打ち出せたと思っております。
さらにその上に今年に入りましてからは、孝明帝亡き後、幼帝を抱き込んだ薩長のさらなる台頭というものが大きな課題として浮上いたしました。幕府の求心力が弱まる中で、なんとかして強力な対策を作らなければいけない。こういうふうに思ったわけでございます。
先の議論では、薩長が重要案件の対応に応じず、話し合いのかけひきで審議引き延ばしや審議拒否を行なった。その結果決めるべきことがなかなか決まらない。そういう事態が生じたほか、何を決めるにもとにかく時間がかかったということは事実であります。
今、日本経済はまた天子様のお立場を考えた場合に、今後開かれる議会で、このようなことは決して起こってはならないこと。そのためにもですね、態勢を整えた上で議会に臨むべきであると考えました。天子様のことを第一に考えるならば、ここで政治の駆け引きで政治的な空白を生じるという政策実施の歩みを止めることがあってはなりません。この際、新しい布陣の元に政策の実現を図ってまいらなければならないと判断をし、私は本日、大政を奉還することを決意いたしました。まだ外交対策を取りまとめ、実質審議入りには時間があるこのタイミングを狙いまして、国民にも大きな迷惑がかからないというように考えた次第での時期を選んだわけであります。
これをきっかけに、天子様の下により強力な態勢をしいてもらい、国家、国民のための政策実現に向けて邁進(まいしん)してもらうことを期待をいたしております。これまでの1年を振り返るならば、大きな前進のためのいろいろな基礎を築くことができたというように自負いたしております。みなさま方にもいろいろとお世話になりまして、心から感謝を申し上げます。以上私の大政奉還の気持ち、考え方でございます」
一問一答
--具体的にいつの段階で決断されたか。それと、こうした形で唐突に投げ出されたが、そのことで政治不信、政権に対する不信がまた巻き起こるのではと思うが、どう考えるか。
「これは私がこれからの政治を考えて、どうあるべきかを考えた上で決断したことでありまして、いつそういうように考えたかと言えばですねえ、まあ、過去いろいろ考えましたけれども、山内容堂から献策があったときに、その最終的な決断を致しました」
--新しい体制を整えたうえで議会に臨むべきだという考えを表明したが、新しい体制になればどのような点で今の事態が打開できると考えるか。
「これはですねえ、まあ、我が徳川家のことを申し上げて恐縮でございますけれども、まあ、朝廷としても抱えきれないということになると思いますねえ。そして、あらためて選ばれた新しい総裁が、総理大臣の指名を受ける、こういうようなプロセスになると思っておりますけれども、それは私が続けていくに間違いないと私が考えた結果です。それはいろいろな状況を考えて政治的な判断をしたということです」
--さまざまな問題は、いずれもまだ道半ばであり、これをご自身の手で仕上げていくことが責任と考えるのが普通であると考えるが、それを朝廷でやってほしいと考えるのは何故か。もう一つ、大政を奉還すること自体が、諸外国が今、開港、通商条約締結を求めてきているときに辞めること自体が空白を招くのではないか。
「議会にはこれから説明をしていく。まあ私に続く人がこのことを重要に考えてやってくださる。それを期待いたしておりますけどね。それは無理なんで音を上げると思っておりますけど、それはここまで幕府を追い込んでおいて、実際政権をとったらどうされるか、またそのことについて朝廷は薩長などの取り巻きとどういう話し合いをしていくかということになりますので、それはお任せするしかないと思います。これは無責任だと言われれば、全部終わるまでやってなくてはいけない。しかし、本当にやっていられるかという問題もあるんですね。
第二の問題ですけどもね。私が続けていって、そして朝廷がですね、順調に従えばいいですよ。そういうことはさせじという薩長がいる限りですね、新しい政権になってもそうかもしれんけども、しかし私の場合には、支持率の問題もあるかもしれませんしね、いろいろな状況がありますから、その辺はたいへん困難を伴うのではないかと思います。
そして政治空白の話でございますけど、今が政治空白を作らないという意味ではいちばんいい時期だという判断を私はいたしたわけです。まあ、例えば議会の途中で何かあるといったようなことをですね、まあ、そもそもしてもしようがないんだけども、そういうようなもし仮にそういうようなことがあったならば、そのことの方がですね、より大きな影響を天子様に与えると思っております。いろいろこれから大事な法案、政策をですね、あの~打ち出すわけでありますけど、これまでの積み残しも大事なのがございますから、そういうものを順調に仕上げていかなくてはいけない。そのためにはですね、私がいろいろ考えましたよ。判断した結果、今大政を奉還して、やれるもんならやってみろよと判断したわけです」
原文:MSN産經ニュースの記事より
【福田退陣】「基礎を築くことができた」 首相会見要旨
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080901/plc0809012305016-n1.htm
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