青城澄作品集

詩人あおきすむの書いたメルヘンや物語をまとめます。

2024-12-16 03:27:06 | 月の世の物語

古山の奥に、黒いなめらかな崖をすべる静かな白い滝があり、その下の滝壺に、一匹の大きな鱒(ます)が住んでいました。鱒は水の中から月を見て、何やら不安に似た予感を感じました。そこで水からひょいと顔を出し、月を眺めながら、またかな?と言いました。

一陣の風が吹き、月光の下に薄い影がゆれたかと思うと、滝壺の傍の岩の上に、一人の女が現れました。彼女は黒髪の長い美しい女で、黒い占い師の服を着ておりました。
「やれ、ついたわ」女が言うと、鱒が早速声をかけました。「やあ、今度は何をやらかしたんです?」すると女は、驚きもせず鱒を振り返り、「別に、ちょっと気に障る男(やつ)を一人、地獄に落としただけよ」と言いました。鱒は目をぴくぴくさせました。
「男ってのは美人を見ると態度がでかくなるわね、いつものことだけどさ。何を相談しにきたのか知らないけど、ぺらぺらと人の悪口ばかり言って、いかにも自分は偉そうにするもんだから、ちょっと頭に来たのよ」

「それでまたお役人に叱られたんですね?」鱒が言うと、女はとぼけたような顔で言いました。「怒られる前にもう来ちゃったわ。事前にやらされることがわかったからね」言いながら彼女は口笛を吹き、指をぱちんとはじいて、手のひらの上に小さな青い炎を作りました。女がその炎で自分の髪に火をつけると、あっという間に炎は全身を包み、その中で女はゆらゆらと姿を変え始めました。流れる黒髪は波打つ銀髪になり、白い肌は闇のように黒くなり、瞳は月のような金になり、背が樹木の伸びるようにすらりと高くなりました。彼女は元の姿に戻ると、最後に炎を全て口に吸い込み、少し月光を傷めるような朱い煙を吐きました。
彼女は古道の魔法使いでした。古道とは何億年の昔から使われている古い魔法で、今の時代に使われている魔法と違い、少しやり方が荒く、時々道理を外れることがありました。

女は久しぶりに自分の姿に戻り、重い荷を下ろしたかのようにほっと息をついて、両腕を伸ばして清い滝の水気を吸いました。鱒は変身の魔法が終わるのを待ちかねたように、尋ねました。「その地獄に落ちた人、どうなったんです」女はさっきとは違う声で、答えました。「蝙蝠になって穴の中を飛んでるわよ。今頃誰かが助けにいってると思うわ」鱒は、あちゃー、と言いました。「いくらなんでもそれはひどい」鱒が言うと、女は「少しは痛い目みなきゃ、わからないのよ、ああいうやつは」と平気で言いました。

「さてと」女は、周りを見回し、「ここらへんにちょうどいい岩はないかしら」と言いました。「岩がいるんですか」と鱒が尋ねると、女は、ええ、と答え、「かなりの大きさのが要るんだけど、あなた、心当たりはある?」すると鱒は、少しの間水の中に消え、もう一度上がってきて、言いました。「この滝壺の底に、かなり大きいのはありますよ」すると女は早速、口笛で水をはじきながら、鱒の言った岩を動かしました。鱒が大慌てで隅の方によけると、滝壺の底が、ばちんと音を立てました。ぎりぎりという岩の悲鳴が耳を刺したかと思うと、滝壺の水はいっぺんに爆発し、大きな緑色の岩が一つ、空中にゆらりと浮かびました。
「まあまあね、使えないことはないわ。時間もないことだし、これでなんとかするわ」
「少しはこっちにも気を使ってくださいよ」と鱒は彼女に抗議しました。滝壺は前より深くなり、水がひっくり返って、泥で汚れていました。女は、「あら、ごめんなさい」と鱒に謝ると、月光を糸の束のように手で縛り、方向を調整して、滝壺の上に光を集めました。月光は滝壺を金色に染め、それは泥といっしょに滝壺の底に金砂となって降りつもり、岩をむしりとったあとの傷を癒しました。水が元通りに澄んできて、鱒はほっとしました。

「それで、その岩、何に使うんです?」鱒が聞くと彼女は、軽々と岩を片手で持ち、「これで月長石をつくるの、それも三日間で、三千個」と言いました。すると鱒は表情を明るくし、言いました。「ああ、それはいいですね。月長石は月光をよく吸い取りますから、何かと役に立ちますよ」
「かなり難しいのよ。でもやらないとね。また怖い役人さんが頭に角を出してやってくるわ」言い終わると彼女は、また口笛を吹き、再び姿を変え始めました。鱒は魔法の邪魔をしないように黙っていましたが、心の中では、(ほんとの姿のほうが、ずっときれいなのになあ)と思っていました。やがて女は、また黒髪に白い肌の美女に戻り、片手で岩をかかえつつ、鱒に一言「ありがとね」と礼を言って、風の中に姿を消しました。鱒はほっと息をつき、まだ少し曲がっている月光をみて、(いい人なんだけどなあ…)と思いながら、少々模様替えされた滝壺の底に戻りました。


 
 
 
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