青城澄作品集

詩人あおきすむの書いたメルヘンや物語をまとめます。

金の鍵

2024-11-19 02:58:09 | 薔薇のオルゴール

チコル・コペルは、悩んでいました。ほう、と深いため息をつきました。チコルは今、小さな商店街の片隅にいて、親方と一緒に、冬の風に吹かれながら、話をしていました。

「ずいぶんとさびれたなあ。ここも」と親方は言いました。チコルもさびしそうに言いました。「ええ、昔は、それは賑やかでしたけれどねえ。ムッシュ・ポルが生きてた頃は、それはここは美しくて、欅が何本も並んでいて、みんなが楽しそうに歩いていたなあ…、お姉さんが、いつもここで、ぼくに、いろんなものを、買ってくれたものですよ。今思うと、大変だったろうなあって、思う。どんなにか、苦労して、お金を都合したんだろうなあ。ぼくは、今も、時々、だだをこねて、あんなおもちゃを欲しがるんじゃなかったって、思うことが、あるんですよ。ここには、そんな思い出がいっぱいあるんだ…」

チコル・コペルは今、ある建設会社で働いていました。今、町で、整備計画というのが、あるらしくて、このさびれた商店街をつぶして、新しく大きくて立派なデパートを建てることになったのだそうです。チコル・コペルが働いている会社が、そのデパートの建設を、請け負うことになったのですが、その前には、この商店街を壊さねばならず、チコル・コペルは今日、親方と一緒に、この商店街を視察にきていたのでした。

欅の並木は今はもう、根こそぎ取られてしまって、一本もありませんでした。ムッシュ・ポルのお店も、シャッターを閉めたまま、固まった石のように動かず、ひっそりとしてそこにありました。親方も、少しさびしそうな顔をしていました。親方も、ムッシュ・ポルのことを知っていました。ポル氏は、それは親切な人で、誰にも優しく、歌うようなきれいな声で、とてもうれしいことを言ってくれたものですから。その優しい声で、優しいことを言ってもらえると、それだけで、生きている辛いことが減って、なんだか自分が強くなった気がして、また、いろんなことをやってみたいと思う気持ちが、芽生えてきたものでした。

ポル氏が亡くなってからというもの、商店街はまるで、死んだように静かになりました。店はたくさんあったし、人もたくさんいたのに、もうここには誰もいないような気がして、だんだんと、人もよりつかなくなって、次々と、店が閉まって行き、商店街はどんどんさびしくなっていったのです。ムッシュ・ポルがいただけで、本当にここは、幸せな、いいところだったのです。それにみんなが気付いたのは、ポル氏が、いってしまった、後でした。

チコル・コペルは、親方と一緒に、ポル書店の前に立ちました。そして二人とも、書店の看板を見上げながら、同時にさみしげなため息をつきました。時代の流れとは言え、仕方のないことなのかなあ。できたら、この店だけは、ムッシュ・ポルの思い出だけは、残しておきたい。でもそれは、ぼくらには、できないことなんだ。町の人が、もう決めてしまったことだから…。

親方は、何を思ったのか、書店のシャッターの下に手を差し込み、それをこじ開け始めました。錆びついたシャッターは、ぎりぎりと音を立てて、なかなか、上には上がりませんでした。チコルが、横から、それを手伝いました。シャッターは、二人を中に入れるのを拒むように、がりがりとうるさい音を立てて、抵抗しました。それは、二人に、中に入るな、と言っているように聞こえました。でも、二人は、無理やりシャッターを開けて、中に入っていきました。暗い書店の中に、本のぎっしり詰まった本棚が並んでいました。古い本の湿ったにおいが、水のようにたまっていました。どこからか、ころんと、空気の響く音が、聞こえました。

「ムッシュ・ポルは、いつもあそこにいたね」親方が、店の奥の小さなレジの方を指差して言いました。「ええ、いましたね。いつも、ほんの少し、笑ってたなあ。そう言えば、小さい時、ペール・ノエルに、図鑑をもらったことがありましてね。古い図鑑で、所々、傷や痛みがあったんですけど、きれいな鳥や動物の絵がいっぱいのっていて、それはうれしかった。後で知ったんですけど、あれは、ポルさんがくれたものだったんですよ。長いこと読んでいたなあ、あの本。どこにいったろう。あの本、どこに、なくしてしまったろう。ぼくたちは、いつもそうなんだ。大切なことに、気付くのは、いつも、それがなくなってしまった、後なんだ…」

親方は、切なそうな目をして言いました。「わしはなあ。女房が、若い時に死んでねえ。子供を残して、死んじまって、辛くってさあ。死のうかと思ったときがあるんだよ。子供も、つれてさ。ばかだったよ。子供を、車に乗せてね。どこにいけばいいのか、わからないのに、町をぐるぐる走り回っていた。そうしたらねえ、どこからか、不思議な音楽が、聞こえてきてね。バイオリンのような音に聞こえた。それを聞いてたら、泣けてきてね。泣いて、泣いて、泣いてね。子供が、わしに言うんだ。おとうさん、おうちに帰ろうって。それで、死ぬのはやめて、家に帰ったんだけど、あれは、何だったのかなあ。今も思い出すよ。きれいな音だった。ムッシュ・ポルの声に、少し、似ていた…」
チコルは、黙って、聞いていました。チコルは、覚えていました。お姉さんが教えてくれたことを。ムッシュ・ポルが本当は誰だったのかを。ポル氏が、そのバイオリンを弾いていたことを。そしてそれは、誰にも言ってはいけないことだということを。

ポル氏が死んでしまった今、一体だれが、バイオリンを弾いているのだろう? チコルは考えました。誰も知らない王様が、バイオリンを弾かないと、とても困ったことになるのです。それが何なのかはわからないけれど、本当に困ったことになるのです。でも、ポル氏はもうこの世にはいない。きっと、商店街が壊れてしまうのは、そのせいなんだ。ここは、本当は、人間にとって、とても大切なところなんだ。でも、町の人は、そんなことに気づきもせず、壊してしまう。バイオリンの音が、聞こえないからだ。あの音を、聞いたことがある人なら、ここを壊すことなんて、考えられないだろうに。

チコル・コペルと、親方は、しばし、なつかしそうに、古書店の中を歩き回りました。ポル氏がいつも座っていた椅子が、主をなくしたさみしさのまま凍りついて、そこで、死んでいました。もう誰も、その上には座れないような気がしました。座ってしまえば、椅子は、ガラスのように、粉々に、壊れていくような気がしました。ふと、チコルは、うっという、うめき声を聞きました。気づくと、隣で、親方が、喉を詰まらせて、泣いていました。ここを、壊さなければならないんだ。自分が、壊さなければならないんだ。そう思うだけで、親方の胸は震えて、涙を流さずにいられなかったのです。

チコルも、深いため息をつきました。しょうがないことなんだ。もう決まってしまったことなんだから。ああ、でも、もう一度でいいから、ムッシュ・ポルに会いたい。あの声を、聞きたい。やさしいことばで、語りかけて欲しい。チコルは、心の中で、小さく歌を歌いました。

国には不思議な王様、住んでいる。
誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。
こりすが踊って、歌ってる。
誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。
しろかねのお月さん、聴いている。
黙ってそれを、聴いている。
王様、ひとりで笛を吹いている。
カチカチ鳴るは、金時計。
こばとがきょとんと顔を出し、笛の調べに耳澄ます。
王様、笛を吹いている。
ひとりで笛を、吹いている。

今は、誰が笛を吹いているんだろう? チコルは考えました。誰かが、笛を吹いていてくれるんだろうか。誰も知らない王様は、いるんだろうか? まだ、この国に、いるんだろうか? いるとしたら、それは誰なんだろう? ああ、王様の奏でる音楽を聞きたい。きっと、やさしい、音楽なんだろう。それはそれは、胸が明るくなって来るような、きれいな、音なんだろう。チコルは、足を動かし、書店から少し出て、外の空を見ました。風の音が聞こえました。昔、並んでいた、欅の木の、幻を見たような気がしました。そうして、チコルが、もう一度、古書店の中に、入ろうとしたときでした。彼は、どこからか、不思議な音が、風に乗って流れてくるのを、聞きました。

それは、ぽろぽろという、優しい、ピアノの音楽でした。チコルははっとしました。どこから、聞こえてくるんだろう。また外に出て、空を見ました。でも、音は、風に紛れてどこかに消えてしまい、もう聞こえませんでした。きっと、どこかで誰かがピアノの練習をしていたんだろう。それが風に乗って、たまたま、ぼくの耳に届いただけなんだろう。チコルはそう思いました。でも、何となく、胸にしみるような懐かしさを、少し感じたような気がしました。

そしてチコルはまた、書店の中を振り向きました。ふと、書棚の中の青く光るものに、目が行きました。それは、小さな薄い詩集でした。あ、とチコルは思い出しました。そう言えば、ポルさんは、この小さな詩集を、ひどく気に入っていたっけ。何度も、声に出して読んでいたっけ。チコルは、何かに引き込まれるように、書棚の隅にあった一冊の青い詩集を手にとりました。そして何気なく、ぱらぱらとめくって、その中に書いてある詩を、ひとつ、読みました。

壊しては だめだよ
それは 金の鍵
燃やしては だめだよ
それは 真珠の薔薇
ああ 壊してしまったんだね
ああ 燃やしてしまったんだね
でも いいんだよ
また 鍵は作ってあげるから
もう一度 薔薇は咲いてくれるから

チコルは、びっくりして、目を見開きました。まるで自分に言われているような気がしたからです。チコルは、青い詩集の表紙に目をやり、そのタイトルと詩人の名前を読みました。

「『空の独り言』 オリヴィエ・ダンジェリク」

チコルは、何かが胸にあふれてきて、止まらなくなりました。思わず、嗚咽が漏れて、涙がぽろぽろと流れだしました。ああ、大切なものに、気付くのに、どうして人間は、こんなに、こんなに、時間がかかってしまうんだろう。なんで、大切なものに、気付くまで、こんなに、こんなに、遠回りをしてしまうんだろう。気付いた時には、すべてがおそいんだ。ここは、壊してはだめなんだ。壊したら、大切なものが、なくなってしまう。それがなくなってしまったら、人間は、とても困るんだ。困るんだよ。困るんだよ。壊さないでおくれ。誰か、誰か、助けて。ここを、この小さな店を、壊さないでおくれ。

誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている…

親方が、ひっそりと、店の奥で歌を歌っていました。チコルは店先に立ったまま、涙にぬれた顔を空にあげました。するとまた、かすかに、どこからか、ピアノの音が流れてきました。チコルは、目を見開きました。今度こそ、逃がしてはいけない、そんな気がしました。チコルは耳を澄まして、そのピアノの音を捕まえました。ああ、誰かが、誰かが、ピアノを、弾いている。なんて、やさしい音だ。ああ、ポルさんのバイオリンの音に、よく似ている。ああ、ポルさんのバイオリンは、それはやさしい、春の風のようだった。でもこのピアノは、まるで、そうだなあ、どこか遠い、寒い冬の森の奥で、誰かが灯している温かな焚火の音のようだ。焚火のそばには、優しい、女神さまがいる。そこを訪ねると、優しい声で、言ってくれるんだ。おいで。火のそばによって、温まっておいき。

誰も、誰も、誰も知らない王様が…

チコルは震える声で歌いました。ポルさんの店は、いつか、壊れてしまう。でも、この国にはまだ、いるんだ。誰も知らない王様が、どこかにいるんだ。そして、ピアノを、ひいている。誰にも知られずに、ないしょで、ずっと、ピアノを、弾き続けてくれている。きっと、きっと、そうなんだ。

ああ 壊してしまったね
でも いいんだよ
また 作ってあげるから

チコルは、胸の奥で、詩のことばをささやきました。一冊の青い詩集を抱きしめて、チコルは親方と一緒に、店を出て、シャッターを閉め、会社の方に、戻ってゆきました。

誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。
今もひとりで、吹いている。
誰も知らない、王様が。

それはきっと、遠い遠いはるかな昔から、続いている、不思議な不思議な、物語。小さな国の、時計を回すために、小さなひとつの秘密の鍵が、誰も知らないところで、美しい声と言葉と心を持つ王様たちの手から手へ、ひっそりと流れていく、不思議な物語。どこにいるだろう。王様。いつか、会えるかな。会えるなら、会いたいな。どこにいるだろう。

その頃、ソランジュ・カロク夫人は、やさしいピアノを弾く手をとめると、ああ、今日もピアノを壊さずに、ちゃんと弾くことができたわと、ほっと、安心した息をついていました。カロク夫人は、静かにピアノの蓋を閉めると、そっと地下室から出て行き、金の鍵で、地下室の扉を、しっかり封じました。秘密が、誰にも、もれないように。

カロク夫人は、手の中に光る、金の鍵を見つめました。ポルさんのようにやさしく弾くには、まだまだ勉強が必要だわ、わたしには。ああ、それにしても、王様は、どこにいるかしら。次に、この鍵を渡せる、王様は。わたしも、探さなくては、美しい声と言葉と心の、やさしい王様を。ポルさんのように、探さなくては。国の時計が止まってしまわないように、地下室で楽器を弾いてくれる、やさしい王様を。

ああ、どこにいるの? 王様は。

カロク夫人は、ため息のように言いながら、窓辺に手をついて、外の空を見上げました。

(おわり)


 
 
 
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真珠の薔薇

2024-11-18 03:01:33 | 薔薇のオルゴール

その日、商店街は、どことなく、ひっそりとしていました。外では、冬の初めの風が、少し葉の残った欅の枝を揺らしていました。商店街を歩く人々は、なんとなく、何かが足りないような気がして、一体ここはこんなにさびしいところだったかしら?と、不思議な顔で商店街を見まわしました。そして、なんだかとてもつらい気持がして、それぞれに、商店街でそそくさと買い物を済ませては、急いで家に帰ってゆきました。

ムッシュ・ポルのお店は、今日は、シャッターを閉めていました。明るい照明の灯る商店街の中で、そこだけ、なんだか何もない洞窟のように暗い感じがしました。冬の風がさみしく、時々、シャッターをかたりと揺らしました。

ポル氏は、店の奥で、黒い服を着て、静かに、レジの前の椅子に座っていました。座ったまま、ぼんやりと、灯りを消した店の中の、薄暗い書棚を見つめていました。時々、悲しげな吐息が、口からもれました。

ポル氏は今日、ひとつの小さなお葬式に、行ってきたのです。ひとりの大切な友達が、昨日、死んでしまったのです。ほんとうにかわいい、やさしかった友達、オリヴィエ・ダンジェリク。彼はほんとうに、正直で、まじめで、一生懸命に、きれいな詩ばかり書く人でした。ある日彼は、詩を書くのに夢中になって、三日も眠らなかったことがあり、そのために風邪をひいてしまって、その風邪が原因で肺炎を起こしてしまい、病院に行った時には、もう手遅れだったのでした。オリヴィエは、まるで巣から落ちた小さな小鳥の雛のように、あっという間に、いってしまいました。オリヴィエ・ダンジェリクは、死んでしまったのです。

胸の中に、たまらないさみしさを抱いて、ポル氏は、店の奥でしばらく、動けないほどでした。体が氷のように固まって、悲しさに沈んでそのまま自分も死んでしまうかと、思うほどでした。棺の中で、ほんの少し笑っていた、オリヴィエの顔が、頭の中をよぎりました。オリヴィエは幸せそうに、笑っていました。ああ、もう苦しむことはないんだね、オリヴィエ。ポル氏は心の中で、そう、オリヴィエに呼びかけたのでした。

ポル氏は、いつもレジのすぐ横においてある、オリヴィエの小さな青い詩集に手をやりました。そして、何度も読んだその詩集をまた開きました。オリヴィエの残した言葉が、まだその中で生きていました。

つらいことや悲しいことが
あったときは
小さな白い薔薇を
胸に抱こう
神様が 空に虹をかけてくれるよ
すると薔薇は ほんの少し虹に染まって
真珠色になる
それは神さまの薬だから
少し痛い 少し苦い
でもそれだから いいんだ
だって どうやったら人にやさしくできるか
それでわかるようになるからさ

「オリヴィエ、オリヴィエ・ダンジェリク。君の胸には、いっぱい薔薇が咲いていたんだろうね」ポル氏は、詩集に向かって、呼びかけました。するとどこからか、声が聞こえたような気がしました。

うん。それはいっぱい咲いていたよ。真珠色もあったけど。赤やピンクや黄色のも、あったよ。

「ほう、そうだろうねえ。君はやさしかった。つらいこともあったけれど、嬉しいことも、あったかい?」

うん、あったよ。ポルさんと出会えたときは、うれしかった。ぼくの中に、赤い薔薇が咲いたようだった。

「そうかい。それはよかった。そうだ。君の薔薇の部屋には、緑色の薔薇は、咲いていたかい?」

緑色? うん、それも咲いていたよ。でもそれはね、秘密だから言えないんだよ。緑色の薔薇は見えないんだ。見えてはいけないからさ。でも、香りだけは、隠せない。みんなね、不思議に思うのさ。薔薇なんてどこにも咲いてないのに、なぜ薔薇の香りがするんだろうって。ふふ、いつか、教えてあげたいね、みんなに。ぼくは、知ってるよ。ほんとの薔薇が、どうして、どこに、咲いてるのか。

ポル氏は、笑いました。笑いながら、泣きました。そして青い詩集を閉じると、それを抱きしめ、しばらく、じっと動きませんでした。ポル氏の肩が震えていました。ああ、笑わなくては。王は、笑っていなくてはいけない。いつも優しい心で、温かく笑っていなければいけない。悲しみに、沈んでいてはいけないんだよ。でも、どうしても、今だけは、君のために泣いていたい。どうか許しておくれ、オリヴィエ。

ひとりぼっちじゃないよ、ウジェーヌ。

また、誰かの声が聞こえたような気がして、ポル氏は顔をあげました。それは、なつかしいノエル・ミカールの声のような気がしました。ノエル・ミカールも、死んでゆく前、ポル氏にやさしく言ってくれたのでした。

「王様は、ひとりで、ずっと楽器を弾いていかなくちゃいけない。さみしい時も悲しい時もあるけれど、いつも、みんなのために笑っていなくちゃいけない。でも、ひとりぼっちじゃないよ、ウジェーヌ。ぼくはいつも君のそばにいるから」

するとポル氏の胸に、ほんのりと薄紅の小さな薔薇が咲いたような、うれしい気持が現れました。ノエル・ミカール、優しかったあの人。いっしょに、大切な本を探してくれた…。

ウジェーヌ・ポル氏は、詩集の青い表紙を見ながら、また、やさしい声で、オリヴィエに語りかけました。

「オリヴィエ、君に初めて会ったとき、わたしは一目でわかったんだよ。ああ、やっと、出会えたって。やっと、神様が、わたしの次の王様に会わせて下さったって。君は知ってたろうか。君の声は、小鳥の吹くフルートのようにかわいくて、きれいだった。君の心、そのままだった。君が、わたしの次の、誰も知らない王様なんだと…」

ああ、ウジェーヌ。ごめんね。

オリヴィエの声が、かすかに聞こえたような気がしました。

小さな青い詩集ひとつを残して、オリヴィエ・ダンジェリクはいってしまった。ああ、誰に、次の王様をやってもらえばいいんだろう。わたしも、だいぶ年をとってしまった。早く見つけなければ。次の王様を。王様を、探さなくては。声と言葉と心のやさしい、誰も知らない王様を…。

ウジェーヌ・ポルは、詩集を胸に抱いたまま、椅子からそっと立ち上がり、ポケットから金の鍵を取り出して、地下室に向かいました。地下室の中では相変わらず、鳩時計かかちかちと動き、時々、思い出したようにこばとが顔を出しては、ぽう、と鳴いていました。窓の向こうからは、不思議なお月さまの光がふりそそいでいます。こりすの人形が、もの言いたげに、ポル氏の顔を見上げていました。

ポル氏は、詩集を窓辺のこりすのそばに置くと、窓の下に立てかけてある、ガラスのバイオリンを手に取りました。その重いバイオリンを肩の上に持ちあげるのには、もうかなり苦労がいりました。若いころは、それは軽々と、バイオリンを持ちあげて、柔らかくやさしく弾けたものですが、知らないうちに、時は経ってしまいました。ポル氏も、相当、年をとってしまいました。長いことバイオリンを肩にかけていると、腕も肩も重くしびれてくるように、なってきました。それでも、バイオリンを弾かねばなりません。弾かねば、国の時計が止まってしまうからです。

ああ、神様、とポル氏はため息といっしょに言いました。バイオリンを抱え、弓を構えて、弾く前の姿勢をとりながら、ポル氏は心の中で祈りました。

(神様、どうか今夜だけ、許して下さい。大切な友達のためにだけ、このバイオリンを弾くことを)

ポル氏は、かわいい金の巻き毛をしたオリヴィエの笑顔を思い出しながら、心をこめて、バイオリンを弾きました。

そのやさしい音は、不思議な月の窓から出ていって、風に導かれ、国中に流れていきました。その音を聞くことができる人は、はっと顔をあげて耳を澄ましました。そして思いました。…ああ、今夜は、なんて悲しいのかしら。どうしてこんなに、さみしいのかしら。みな、何かとても大切なものを、なくしてしまったような気がして、たまらなくなりました。目から涙を流す人もいました。見上げる空さえもが、泣いているような気がしました。

そして、そのバイオリンの音を、聞くことができる人も、できない人も、眠ったときに、みなが、同じ夢をみました。

金色の髪をした少年が、夜空を飛ぶ白い月の船に乗り、青いフルートを吹いている夢を。少年が、フルートを吹くと、夜空に一斉に、真珠色の薔薇が咲いて、それはそれはきれいな星の花園が、空にゆっくりと流れていく夢を。

人々は、目を覚ましたとき、ほとんどみな、その夢のことは忘れていましたが、ある、ひとりの画家だけは、なぜかそれを覚えていて、胸にしみとおるような透き通った悲しみを感じました。そして、何かをしなければいけないような気がして、筆をとり、一枚の不思議な絵を描きました。

夜空に浮かんだ白い月の船に乗って、青いフルートを吹く、金色の髪の少年の絵を。少年の周りには、真珠色の薔薇が、夢のようにたくさん踊っていました。

画家は、その絵を、ある展覧会に出品しました。ポル氏は、そんな絵があることは、ちっとも知りませんでしたが、展覧会を訪れた人は、その絵を見ると、なぜか心を引かれて立ち止まり、しばし息をとめて、見つめてしまいました。あら? どうしてでしょう。どこかで会ったことがあるような気がする、このかわいい少年。なぜかしら、とてもなつかしいような気がして、人々はふと、国に伝わる古い歌を思い出してしまうのでした。

国には不思議な王様、住んでいる。
誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。
こりすが踊って、歌ってる。
誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。
しろかねのお月さん、聴いている。
黙ってそれを、聴いている。
王様、ひとりで笛を吹いている。
カチカチ鳴るは、金時計。
こばとがきょとんと顔を出し、笛の調べに耳澄ます。
王様、笛を吹いている。
ひとりで笛を、吹いている。

その絵は、ひとりの、品の良い上等なスーツを着た紳士に気に入られ、買われていきました。紳士はその絵を、自分が持っている、しゃれたカフェの白い壁に飾りました。カフェを訪れる客は、その絵を見ると、なんだか胸が澄んで安らいでくる気がして、とてもきれいな気持ちになりました。そのせいか、少し、そのカフェにくる客が増えたそうです。

小さな絵の中で、オリヴィエは今も、夢見るように、青いフルートを吹いています。声と言葉と心のやさしかった、オリヴィエ・ダンジェリクは今も、笛を吹いています。そうやって、真珠の薔薇の種を、人々の心にそっとまき続けているのです。

誰も知らない、誰も知らない、話です。

(おわり)


 
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空の独り言

2024-11-17 03:20:39 | 薔薇のオルゴール

季節は、秋でした。欅の並木が、黄色や赤に染まり始め、葉を落とし始めていました。風の中に、かすかに、冬のため息が聴こえ、オリヴィエ・ダンジェリクは、青いコートの襟を立てて、首を隠しました。彼は、商店街の一隅に、小さな敷物をしき、自分で書いて作った詩集を、並べて、売っていました。でも、商店街を通る人々は、オリヴィエには、ほとんど振り向きもせず、みんな素知らぬ顔で、通り過ぎていきました。オリヴィエのような、名もない詩人の書く詩などに、興味を持つ人など、いなかったのです。

詩を書く人は、たくさんいましたが、みんな、言葉を、おもちゃのようにあやつって、色粘土をたくさん混ぜるように、器の中で溶かしてしまって、なんだか妙な色の、泥のようになって、むちゃくちゃな感じの、わけのわからないような詩を書く人が、多かったので、そんなのは、普通の人には、とてもわからなくて、難しいからと、人は、詩人には、あまり、興味をもたないものなのです。みんな、詩というものは、それぞれの人が、自分だけの世界の中で、好きなように書いてつくりあげたもので、だいたいは、書いた人以外にはあまりわからないものだから、何か必要に迫られる場合を除いては、関わっては面倒なものだと、思っているようでした。

ですから、オリヴィエの詩集も、一冊も売れませんでした。本屋さんにも何冊か頼んで、置いてもらったりもしたのですが、一冊も、売れませんでした。誰も、オリヴィエの詩を、読んではくれませんでした。手にとってくれさえもしませんでした。オリヴィエは、悲しい思いを感じました。でも、詩を書くのが大好きで、それはとても幸せで、きれいなことばで、いつも胸に感じている幸せや小さな悲しみや愛を語るのが、本当に好きで、どうしても、それを、だれかと分け合いたくて、こうして、ひっそりと、道の隅で、自分の詩集を売ったりしていたのです。売れなくても、誰か、欲しいとさえ、言ってくれれば、ただであげてもいいと、思っていました。実際、ただであげた人もいたのですけど、その人は、オリヴィエの詩を、読んでくれてはいないようでした。読んでいたら、きっと、自分の、気持ちをわかってくれて、うれしいことを、言ってくれると、オリヴィエは思っていたのです。

秋の風が、ひとひら、欅の葉っぱを運んできました。オリヴィエは、その赤い葉っぱを拾い、それを指でくるくると回しながら、青い表紙の自分の詩集を開きました。あまり質の良くない紙に、安っぽい活字が、虫のように並んでいました。オリヴィエは、心をこめて、たくさん、きれいな言葉を集めて、一生懸命、美しいことを書いたのです。胸の奥に棲んでいる、時計のようにことことと鳴る小さな心臓が、いつも薔薇のように咲いて薫っているのを、一生懸命、誰かに伝えたくて、書いたのでした。

「おや、本がありますね」ふと、どこからか、とてもきれいな、男の人の声が聞こえました。オリヴィエが、振り向くと、そこに、茶色の髪と髭をした、年配の男の人が立っていました。「すみません、商売柄、本を見ると、どうしても気持ちをひかれてしまうものですから。何が書いてあるのかな。少し見てもいいですか」男の人が言うので、オリヴィエは、大喜びで、詩集を一冊、男の人に差し出しました。男の人は、詩集を受け取り、しばらく、ぱらぱらとそれをめくって、読んでいました。呼んでいるうちに、ふと、男の人は、驚いたような顔をしました。「おや、これはあなたが、書いたのですか?」と、男の人は声を大きくして言いました。オリヴィエは、おずおずと、言いました。「ええ、ぼくがみな、書きました。拙いものですけど、読んでくれたら、うれしいです」
男の人は、オリヴィエの書いた詩の中の、一つを、そのきれいな声で、読みあげてくれました。

神さまが 昔 
小さな金の鍵を 作ったよ
魔法の 鍵を 作ったよ
それはどこの鍵?
誰も知らない
でも 僕は知ってる
それは 神様が作った
秘密の 部屋の鍵
その部屋の中には
小さなオレンジの木があってね
オレンジは 金色に熟れてくると
ぽこぽこと割れて
光る小鳥を たくさん産むんだ
そして小鳥は 風に乗って
世界中に 飛んでいくんだよ
神さまの やさしい声を
みんなに 
伝えたくて

男の人が、それはきれいな声で、歌うように読みあげてくれたものですから、ひとりふたり、通行人が立ち止まって、興味深く、オリヴィエの方に近寄ってきました。男の人は、ほお、とため息をついて、言いました。
「おお、なかなか、すてきですねえ。きれいなことばだなあ。まるで、花が薫ってくるようだ。ひさしぶりに、とてもいい本を見つけた。ひとつ、譲って下さい。いや、よかったら、何冊か預かりましょう。わたしは、ポルといいます。ついこの先にある、古本屋を営んでいるものです」
それを聞いたオリヴィエの顔が、輝きました。「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
ポル氏は、オリヴィエの詩集を一冊買いとり、何冊かを、預かってくれました。そして、店先にしばらく並べて、売ってくれると言ってくれました。オリヴィエは、うれしくてたまりませんでした。

「ほう、この青い詩集の名前は、『空の独り言』というのですか。なるほど、空の色をしていますね。空は、独り言をいうのですか?」ポル氏が、オリヴィエに問いました。すると、オリヴィエは言いました。「ええ、言います。時々、ぼくには、それが、聞こえるんです。ほんとです。ぼくは、空の独り言を書く詩人なんです。空はいつも独り言を言ってます。空の言うことなんて、誰も聞いてくれないから、独り言なんです。ぼくが聞いてるってこと、空は知ってるかな? 知らないかもしれない。でも、ぼくには、わかるんだ。だからこうして、空の独り言を書いてるんです。少しでも、みんなに、空の独り言が伝わったら、うれしいって、思うから」

オリヴィエは、自分と話をしてくれる人が現れたことがうれしくて、ついぺらぺらとしゃべってしまいました。すると、オリヴィエの周りに集まっていた人々が、何人か、あきれたようなため息をついて、離れていってしまいました。なんておかしな人がいるんでしょう、という、冷たい女の人の声が聞こえました。オリヴィエは、つい調子にのって、馬鹿なことを言ってしまったと思って、少し悲しげにうつむいて、恥ずかしそうな顔をしました。こんな、自分にしか意味がわからないようなことを、うかつに言ってしまっては、人に誤解されてしまうのです。オリヴィエはいつも、こんな人とはちがうことを言っては、人にあきれられてばかりいました。みんなが、オリヴィエのことを、ばかみたいなやつだと、思っていました。オリヴィエは泣きたくなってしまいました。せっかく、詩集を預かって売ってくれるという人が現れたと言うのに、それもだめになってしまうかもしれないと、思いました。

でも、ポル氏は、相変わらず、微笑んで、言いました。「そうですね、そう言えば、空は、時々、独り言を、言いますね。わたしにも時々、聞こえますよ。そうだなあ、わたしには、こんなふうに聞こえますよ。みんな、だいすきだよ。なんでも、してあげたいな。…君には、こんな風に聞こえるんですねえ」

ポル氏は、またひとつ、オリヴィエの詩を読みました。

風に手紙を書くよ
露草の花の色で 青い手紙を書くよ
でも君は 花なんかいらないっていう
手紙なんか いらないっていう
そんなもの 何の役にも立たないからって
でも ほんとうにいらないのなら
なぜあんなに 花屋さんがいっぱいあるのかな
なぜあんなに 郵便屋さんは走っているのかな
なぜあんなに 人は風の音に驚くのかな
必要なものは 必要だって言えばいいのに
どうして君は うそをつくの?
君には ほんとうに手紙が必要なんだ
だれかの 手紙が 必要なんだ
風に 手紙を書くよ
露草の花の色で 青い手紙を書くよ
君に 手紙を書くよ
だって君は そっぽむくふりして
ほんとうはいつも 待ってるじゃないか
いつも だれかを振り向きたくて
名前を呼ばれるのを 待ってるじゃないか

ポル氏の歌うような声は、風の中を流れて、また何人かの人々の耳をひきつけて、オリヴィエの前に集めました。

「ああ、いいことばだなあ。露草のインクで、風に手紙を、誰に書くのですか?」
「はい、ぼくの、好きな人に」
「ほう? 好きな人がいるの?」
「はい、います、たくさん」
「そんなに、たくさん、いますか」
「ええ、とっても。でも、みんなは、あまり、ぼくのことは好きじゃないみたいなんだ。ぼくは、他人と、ちょっとちがうから。でもいいんです。ぼくは、みんなが好きだから。だから、風に、手紙を書くんです」
ポル氏は、一層、微笑みました。

「いいですね、わたしも、書いてみたいな。すてきな手紙を、風に書けたら、好きな人みんなに、届けてくれるでしょうね」
「はい、もちろん、きっと、みんなのところに、届きます」
「風は、やさしいし、どこにでも、どこまでも、吹いてくれますからね」
ポル氏は、微笑んで、やさしく、言いました。

「『空の独り言』オリヴィエ・ダンジェリク著、と。うつくしい本を、ありがとう。わたしの名刺を、渡しておきましょう。住所も、電話番号も、書いてありますから。用があったら、いつでもかけてきてください。店にも、いつでも来てくださいね」
ポル氏は上着のポケットから、一枚の白い名刺を、オリヴィエに渡しました。それには、白い鳩の羽のように澄んだ白いカードに、露草の色に良く似た青い文字で、「ポル書店、ウジェーヌ・ポル」と書いてありました。カードの隅には、住所と電話番号と一緒に、小さな青いト音記号の模様が描いてありました。

オリヴィエは、宝物をいただくように、大切に、名刺をいただきました。オリヴィエは、嬉しくて、なりませんでした。自分と同じように、空の独り言を、聞くことができる人がいるなんて、それが、本当に嬉しくて、胸の中に明るい星がぱあっと灯ったような気がしました。

「そろそろ、日が沈みます。寒くなるから、家にお帰りなさい。詩集は、君の気が変わるときまで、ずっと、店に置いておきますから。ほかにも、何か書いてある詩があったら、持ってきてください。また読んでみたい」

「はい、あります。まだ、子供で、もっと下手だったころのものですけど。あります。今度、持ってきます!」
オリヴィエは、明るく笑いながら、立ち上がりました。そして、ポル氏と、強く握手を交わしました。ポル氏は優しく、歌うような声で空を見上げながら言いました。
「また、空の独り言を、教えてください。なんて言ってるのかな、今は。何かを言ってる気がしますね。君には、なんて聞こえるんですか?」
「はい、ぼくには、あいしてるって、聞こえます」
「ほう、だれを?」
「あなたを」
すると、ポル氏は、それはそれは嬉しそうに笑いました。

オリヴィエは、敷物と、余った詩集をカバンの中にしまうと、ポル氏ともう一度熱い握手を交わし、ほくほくと温まる胸を抱いて、風の中を、自分の家に向かって、帰っていきました。ああ、今日はほんとうに、幸福だったなあ。オリヴィエは、思いました。

家に帰ると、オリヴィエは、カバンをベッドの足もとに置き、パンとチーズで簡単な夕食を済ませた後、窓辺の机に座って、また詩を書き始めました。今日、起こった幸せな出会いを、何とか、詩に書いてみたかったのです。オリヴィエは、書きました。

今日 不思議な王様に出会ったよ
王様はね 小人みたいに小さくて
お月さままで 手が届くんだ
王様はね 言うんだよ
王様になるのは 簡単さ
声と言葉と心がやさしくて
小さな歌が歌えればいい
楽器など弾けたら もっといい
弾けなくても 太鼓があれば 便利だね
誰でも たたけるもの
でも 難しいのは
風のようにやさしく 柔らかな声で
見えない小鳥のように 歌うことさ
だって 王様の秘密がばれてしまったら
たいへんだもの
王様は いつも歌ってるよ
みんなのために 歌ってるよ
君には 聞こえるかなあ
あの王様の やさしい声が

オリヴィエは、嬉しくて、たくさん詩を書いてしまいました。今度の休みに、ポル氏の店に行って、この詩をまた、読んでもらおう。きっと、あのきれいな声で読んでくれたら、ぼくの詩も、命が点って、チョウチョみたいに動きだす。そして、世界の風に乗って、流れだすんだ。そんな気がするなあ。不思議な人だなあ。ポルさんて。なんて、きれいな、声の人なんだろう。

夜が更けました。オリヴィエはふと、窓から月を見上げました。風に乗って、かすかに、バイオリンのような音が聞こえてきたような気がしたのです。オリヴィエは、耳を澄ましました。ああ、なんてきれいな、音なんだろう。なんて、やさしい声なんだろう。これが、空の独り言なんだ。ぼくは知っている。空から聞こえてくるんだよ、この声は。バイオリンのような、きれいな声だ。ぼくには聞こえるんだ。ほんとうに、聞こえるんだよ。

オリヴィエは、夜が更けていくのにも関わらず、また、詩を書きました。空の独り言が、何を言っているのか、書きたくて、たまらなかったからです。

遅くなっても いいんだよ
時間に遅れても いいんだよ
今からではもう 間に合わないって
神さまの大切な鳥を 逃がしてしまったからって
背中を向けて 行ってしまわないで
まだ 扉は開いているよ
おいで おいで 帰って おいで
神さまが 待っているよ 君を
ずっと 待っているよ
さあ おいで
誰も知らない 誰でも知ってる
神さまの 秘密の部屋に 
帰って おいで
神さまがみんなに 幸せをくれるよ
苺の飴みたいな
小さな小さな 赤い星を 
みんなに 配ってくれるよ

オリヴィエ・ダンジェリクは、夜明け近くまで、机に向かい、遠いバイオリンの声に耳を澄ましながら、夢中で、詩を書いていました。

(おわり)
 
 
 
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エメラルドの涙

2024-11-16 02:47:05 | 薔薇のオルゴール

エドガール・ミントス氏は、とてもお金持ちでした。外国製の素敵な自動車を五台と、エメラルドの鉱山がひとつ、それと大きな白い船を一艘、そして大理石の柱がある、大きくて立派なお屋敷と、薔薇の温室がある、素敵な広いお庭と、ほかにもたくさん、いろいろなものを、持っていました。

鉱山からとれるエメラルドはとても上質で、高く売れて、ミントス氏はお金をたくさん、儲けました。家には、たくさん使用人がいて、みんな、ミントス氏の言うことを聞きました。ミントス氏はたいそう、自分がえらくて、自慢でした。黒い髭も立派で、仕立ての良いスーツを着て、指にはもちろん、大きなエメラルドの指輪を、いつもはめていました。

ミントス氏は、こんなふうにたくさんのものを持っていましたが、中でも一番自慢なのは、たくさんの薔薇の咲く温室でした。七人も、庭師を雇って、一年中、きれいな薔薇が見られるように、ずっと世話をさせていました。だから、ミントス氏はいつでも、見ようと思えば、美しい薔薇を見ることができました。赤や、黄色や、ピンクや、白や、それは色とりどりの、美しい薔薇を、いつも、見ることができました。ミントス氏は薔薇が大好きで、外国に珍しい薔薇があると聞くと、わざわざ、薔薇商人を自分の元に呼び寄せて、薔薇の株を持って来させました。自分から行くのは、とんでもないと、思っていたからです。自分は、えらいから、いつも、相手の方が、自分のところへ、品物を持ってくるのが、当たり前と、思っていました。ですから、ミントス氏はいつも、家にいて、たいていは、薔薇の庭を見ながら、遊んでいました。仕事はときどきやりました。でも、ほとんどの仕事は、みんなミントス氏の雇い人がやっていました。ミントス氏は、えらいから、エメラルド鉱山なども、持っているだけでよくて、たいていは何もやらなくてよかったのです。お金さえいっぱい持っていれば、みんなが、なにもかも、やってくれるからです。

ある日、ミントス氏は、雇い人から、とても興味深い話を聞きました。古い時代に作られた、とても珍しい薔薇の図鑑があるというのです。それには、腕の良い版画家がそれは精密に、とても美しく描いた、形も色も様々な薔薇の絵がたくさん載っており、品の良い小人が行儀よく背を並べて、踊りながら並んでいるような美しい文字で、花の名前や、由来や、種類や、育て方などが、詳しく書いてあるというのです。

「ほう、そんなに珍しいのか」と、ミントス氏は、雇い人の話に耳をそばだてました。
「ええ、それはもう。古い時代に、装丁職人と版画家がとてもよい仕事をした、とても良い本です。ある古書店で偶然見つけたのですが、見ていると、本当に薔薇の香りが漂ってきそうなほどです。古書店の主人の話では、多分、もうこれと同じ本で、これほど保存状態がよいものは、ほかに見つからないのではないかと。少々お高うございますが、ご主人様の耳に入れても、そう御迷惑でもないかと思い、お知らせいたしました次第です」
ミントス氏は、値段が高い、と聞くと、それがどうしても欲しくなりました。自分には買えないものなどないと思っていましたから、特に高価なものだと言われると、どうしても手に入れてしまいたくなるのです。そこで早速、ミントス氏は雇い人に、古書店の主人に本を持ってこさせるように、言いつけました。

古書店の主人は、その翌日、さっそく、その本を持って、ミントス氏の元を、訪れました。古書店の主人は、ミントス氏の屋敷の立派なことに、最初とても驚いていましたが、ミントス氏が応接室に姿を現すと、すぐに立ち上がって丁寧に挨拶して、言いました。

「このたびは、本をお買い上げいただき、ありがとうございます。わたしが、ウジェーヌ・ポル、ほんのささやかな、古書店を営んで、暮らしております」
その声を聞いて、ミントス氏は、びっくりしました。ウジェーヌ・ポルは、質素な灰色のスーツを着て、茶色の髪に茶色の髭をした、たいして特徴もない、どこにでもいそうな普通の男に見えましたが、ただその声だけは、まるで名手の奏でるバイオリンの調べのように美しく柔らかく、とても気持ちの良い美しい言葉を話し、快くミントス氏の胸にひびいたのです。その声と言葉を聞くだけで、ミントス氏は、何やら胸の奥で小鳥が踊るように、気持ちがうれしくなるような気がするのでした。でもミントス氏は、自分の方がずっとえらいと思っていましたので、そんなことはおくびにも出さずに、ポル氏の差し出した、古い図鑑を手にとり、たいして興味もなさそうに、ぱらぱらとめくりました。

確かに、本の中には、本当に香りが漂ってきそうなほど、見事に描かれた薔薇の絵が、何枚も載っていました。それは、チョウチョウがひとひら、本物と勘違いして飛んできてしまいそうなほど、今にも風に揺れて、花弁の一枚でもはらりと落ちてしまいそうなほど、見事に描かれていて、一冊の本が丸ごと、一つの大きな花園のようでした。過ぎた時の流れの中で、少し色を変えてしまった緑や赤や黄色の色が、一層それを美しく見せていました。

「ふむ、まあ、わるいことはないな。よし、これだけで買おう」と言いながら、ミントス氏は小切手を出し、さらさらとその上に金額を書きました。その額を見て、ポル氏はびっくりして青ざめ、とんでもない、と言いました。
「これは確かに、珍しい本ですが、こんなに高いものではありません。もっとお安くしてください。適正な価格と言うものがございます。わたしは、これほどくらいいただければ、けっこうです」
ミントス氏は、つまらなそうな顔をして、ポル氏の顔を見ました。何度か小切手をポル氏に差し出しましたが、ポル氏は首を振るばかりでした。それで仕方なく、ミントス氏はポル氏の言った価格で、その本を買うことにしました。ポル氏はほっとして、小切手をいただくと、ミントス氏にお礼を言って帰っていこうとしました。するとあわてて、ミントス氏が、ポル氏を呼びとめました。

「ちょっと待て。そんなやすい金でいいというのなら、おまえにいいものを見せてやる」
「はい? いいもの、ですか?」
ポル氏はびっくりして振り向きました。ポル氏は仕事のこともあって、早く店に帰りたかったのですが、ミントス氏がどうしてもと言って聞かないので、仕方なく、ミントス氏に従うことにしました。ミントス氏は、ポル氏を、庭の、薔薇の温室に連れて行きました。そこには、季節を問わずに咲く、美しい薔薇が、咲き乱れていました。

「どうだ、見事だろう。これほどの薔薇を集めるのには、大変な金がいったのだ。ぜんぶわしのものなのだ。たとえばこの青い薔薇などは、東の東の、もっと東の、遠い国から、薔薇商人に持って来させたのだ。国で、この薔薇を持っているのはわしだけだ」
「ほう、これはまことにすばらしい。なかなかに、できないことでございますねえ」
ポル氏は薔薇の温室を見まわしながら、本当に感心して言いました。ミントス氏は、ポル氏の音楽のようにやさしいその声を聞くと、なんだか気持が澄んで穏やかになり、本当に幸せな気持ちになって、まるで子供のように嬉しそうに、次々と、自分の持っている薔薇をポル氏に見せては、自慢しました。ポル氏は笑って、ミントス氏の説明を聞きながら、時々、質問をしたりなどして、ひととき、ふたりで会話を楽しみました。

「では、そろそろ時間もすぎましたので。今日は本当にありがとうございました。本をお買い上げくださった上、美しい薔薇をたくさん見せて下さって、本当に幸せな一日でございました」やがてポル氏は言いました。ミントス氏の胸に、ふと影のようなさみしさがよぎりましたが、もうこれ以上、古本屋の主人ふぜいに、親切にしてやることもないな、とも考え、ポル氏が帰ることを許しました。ポル氏は、丁寧にミントス氏に挨拶して、帰っていきました。

ミントス氏は、ポル氏が帰ってしまうと、自分の書斎に戻り、しばらく、机の前に座り、ぼんやりとしていました。もう一度、あのバイオリンのようなやさしい声を聞いてみたい、という思いがよぎりました。でも、なんでわしが、あんなものの声を聞きたいと思うものかと、すぐに、腹が立って、ミントス氏は立ち上がりました。そして不機嫌な声で雇い人を呼び、早く夕食の用意をしろと命じました。「兎のシチューが食べたい。準備はしてあるだろうな。おもいきりうまいものが食べたい。早くしろ」すると雇い人は青ざめて、あわてて厨房の方に走って行きました。兎のシチューなどと突然言われて、調理人も困り果てました。兎の肉はありませんでしたが、何とか近くの肉屋に問い合わせ、急いで小鹿の肉を持って来させました。そして調理人は何とか工夫して、それを兎の肉そっくりに味付けをして、みごとにシチューを作りました。ミントス氏は何にも気づくことなく、シチューをうまそうに食べました。

それからというもの、ミントス氏は何かにつけ、不機嫌に、雇い人に乱暴な態度で当たることが多くなりました。とても無理なわがままを押し付け、時には雇い人にはとてもできないようなつらいことを命じることもありました。雇い人たちは苦しくなり、だんだんと、ミントス氏の屋敷で働くことがいやになって、ひとり、ふたりと、ミントス氏の屋敷を離れていきました。ミントス氏は別に気にもしませんでした。お金さえあれば、雇い人などすぐに見つかるものですから。

やがてミントス氏は、いつもエメラルドの商売を自分の代わりにやってくれていた雇い人に、とても冷たい、馬鹿にしたようなことを言ってしまい、その雇い人に、もういやだと嫌われて、去られてしまいました。それで、ミントス氏は、エメラルドの商売を自分でしなければいけなくなりましたが、ミントス氏はそうなって初めて、エメラルドについて自分が何も知らないことに気づきました。自分は家にいて遊んでいれば、全ては雇い人がやっていてくれたからです。ミントス氏はエメラルドの商売を自分でやろうとしましたが、乱暴で横柄な態度ですぐに取引先と喧嘩してしまい、商売がまったくうまくいかなくなりました。エメラルドはだんだんと売れなくなっていきました。それと同時に、鉱山からとれるエメラルドも、だんだんと少なくなってきました。

少しずつ、ミントス氏の周りから、いろいろなものがなくなっていきました。まず、五台あった車が、一台になりました。船も、なくなりました。雇い人もだんだんと少なくなってゆき、ミントス氏の周りはだんだんさびしくなっていきました。エメラルドはさっぱり売れなくなり、お金もどんどんなくなっていきました。やがて、庭師もやめてゆき、庭の薔薇は世話もされずに放っておかれて、病気になり、だんだんとしおれて枯れてゆきました。ミントス氏は鉱山を売りました。車も、土地も、家も、みんな、売りました。持っているものは、みるみるうちになくなってゆき、とうとう、ミントス氏はほとんど全てを失って、住んでいた町を逃げるように離れて、風に流されるように、ある田舎町の古い小屋に住みつき、そこでひとりで暮らすことになりました。

「みんな、なんて馬鹿なんだ。このわしの言うことを、きかないなんて」ミントス氏は、ある日の夕方、隙間風の吹く小さな小屋の中で、せまいベッドの中にうずくまりながら、怒ったように言いました。ふと、ミントス氏は、外から、子供の歌う声が聴こえてくるのを、聞きました。

国には不思議な王様、住んでいる。
誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。
こりすが踊って、歌ってる。
誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。
しろかねのお月さん、聴いている。
黙ってそれを、聴いている。
王様、ひとりで笛を吹いている。
カチカチ鳴るは、金時計。
こばとがきょとんと顔を出し、笛の調べに耳澄ます。
王様、笛を吹いている。
ひとりで笛を、吹いている。

それは国に伝わる、古い歌でした。ミントス氏もそれは知っていました。ミントス氏は、それを聞いているうちに、何となく、昔会ったことのある古書店の主人のことを思い出しました。ああ、あいつ、名前はなんて言ったろう? ミントス氏はベッドの中で考えました。名前はなかなか思い出せませんでしたが、あのきれいなバイオリンのような声は、はっきりと思いだすことができました。ミントス氏は、ああ、とため息をつきました。

「きれいな声だったなあ。わしは、いつまでも聞いていたかったんだ。あの声。まるで、胸が透いてくるようだった。幸せだったんだ。なんで、あのまま、帰してしまったんだろう? そうだ、ともだちに、なればよかった。ああ、なんと言ったっけ、あいつ。名前はそう、たしか、う、ウジェーヌ…」

ミントス氏は、目を閉じました、夢の中に、灰色の悲しいため息が聞こえました。涙が一筋流れ、枕をぬらしました。ミントス氏の指には、ただ一つ手元に残った、エメラルドの指輪が、ありました。

いつまでも、聞いていたかった、あの、やさしい声…。

ミントス氏は、まだ日も沈みきらないと言うのに、深く、眠りに入りました。そして夜の帳があたりに落ちる頃、もっと深い眠りに、落ちました。
指のエメラルドが、かすかに光りました。エメラルドは、遠くから、かすかに聞こえる、バイオリンの音を聞いていました。

ミントス氏も、夢の奥の奥にある夜の中へ、流れてゆく風の中で、かすかに、その音を、聞きました。

(おわり)


 
 
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薔薇のオルゴール

2024-11-15 02:53:14 | 薔薇のオルゴール

学校の裏に、小さな林がありました。緑の風が吹いて、それは明るい季節のオーケストラのような、軽やかな音楽を林に奏でていました。その林の中を今、ひとりの子供が、泣きながら、さまよい歩いていました。

「どこだよ。どこに捨ててしまったんだ…」
子供は、しゃくり声をあげ、頬に流れる涙を何度も手でぬぐいながら、林の中を、何かを探して歩き回っていました。
「大切なのに。もうあれひとつっきりしかないのに。なんでこんなこと、するんだよ。なんでこんなひどいこと、するんだよ」
子供は、林の草むらの中を手で探りながら、かすれた声で言いました。涙が次々とあふれてとまりませんでした。

「どうしたんだい? 君」
ふと、誰かが、後ろから声をかけてきました。それは澄んだテノールの美しい男の人の声でした。子供が振り向くと、木々の向こうの、林の中の一筋の道に、黒い服を着て、長い紐のついた皮のカバンを肩から斜めに下げている男の人が立って、子供の方を見ていました。子供は、さびしくて、辛くて、誰かにすがりたくてたまらないような気持ちだったので、思わず、その人に、言ってしまいました。

「本を探してるんだ。ジャンが、ぼくの大切な本を、林に捨ててしまったんだよ」
「本を? なんでジャンが、君の本を捨てたの?」
男の人が、やわらかいテノールの声で、まるで不思議でたまらないというような感じで言いました。
「ジャンは、ぼくが嫌いなんだ。ぼくが教室で本ばかり読んでて、一緒にボール遊びをしないからなんだよ。だから、ぼくの大切な本を盗んで、林に捨ててしまったんだ」
「ジャンて、君のともだちかい?」
「うん、去年から教室がいっしょなんだ。でも、ジャンはいつも、意地悪ばかりするんだ。ぼくは何も、ジャンに悪いことしないのに。なんでなんだろう。ぼくわからない。ジャンは、なんでぼくが本を読むのが、いやなんだろう?」
子供は、しきりに目の涙をぬぐいながら、言いました。すると、男の人はやさしく微笑んで、言いました。

「大切な本なんだね。ぼくもいっしょにさがしてあげよう。どんな本なの?」
「うん。表紙に黄色い鳥の絵が描いてあるよ。中にはね、古くてきれいな歌のことばがたくさん書いてあるんだ。お父さんからもらったんだよ。お父さんも、おじいさんからもらったんだ。もう本屋さんでは売ってないんだ。あれひとつっきりしかないんだよ。だから、どうしても見つけなきゃ」
「そうか、黄色い鳥の絵の本だね」
そういうと、きれいなテノールの声の男の人は、林の木の下に入り、一緒に草むらを探し始めてくれました。子供は、なんだかうれしくて、胸の中が温まり、涙もとまりました。子供と、男の人は、しばらくいっしょに、林の中の草むらを、本を探して、歩き回りました。

「なかなか見つからないねえ」男の人は言いました。
「うん。ジャンも、そんなに林の奥にはいけないと思うんだ。捨てるとしたら、ここらへんだと思うんだけど…」
男の人は、林の木の上に登り、少し上から林の中を眺めて、それらしいものが見つからないか探してみました。でも見えるのは木と青い草むらばかりで、黄色い鳥の影はかけらもみえませんでした。男の人は木から下りて、子供に言いました。

「探し物がどうしても見つからないときは、しばらく探すのをやめて、休むことだよ。そうすると、焦る気持ちがおさまって、落ち着いて、本当のことが見えてくる。坊や、おいで、こっちに来てお座りよ」
男の人は、一本の高い木の根元に座って、子供に向かって手を振りました。子供は、本がどうしても見つからないのが、とても苦しくてたまりませんでしたが、疲れてもいたので、男の人のいうとおり、その隣に座って、少しの間休むことにしました。

木の下に座ると、一息風が吹いて、木の梢をさわりと揺らしました。かすかな木漏れ日がちらちら揺れました。すると、やっと、子供は、この男の人が、とても不思議な人であることに気づいて、言いました。

「おじさん、どこの人? なんでぼくの本を探してくれるの?」
「さあ、なぜかな。それはきっと、君がとても、大切なひとだからだよ」
「ぼくが? たいせつ?」
「うん、少なくとも、ぼくにとってはね」
男の人は、そう言うと、肩から下げたカバンの中から、小さな小箱を取り出しました。それは、白い蓋に緑色の薔薇の模様を描いた、とてもきれいな箱でした。男の人が、その箱の蓋をあけると、きれいな音楽が流れ始めました。
「あ、オルゴールだね。この歌、知ってるよ」
子供は、歌い始めました。

国には不思議な王様、住んでいる。
誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。
こりすが踊って、歌ってる。
誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。
しろかねのお月さん、聴いている。
黙ってそれを、聴いている。
王様、ひとりで笛を吹いている。
カチカチ鳴るは、金時計。
こばとがきょとんと顔を出し、笛の調べに耳澄ます。
王様、笛を吹いている。
ひとりで笛を、吹いている。

「これはね、この国に、古くから伝わる歌を、ある音楽家が新しく作りなおした歌なんだ。きれいなメロディだろう? ぼくの仕事は、こんなオルゴールを作ることなんだ」
「ふうん、おじさんは、オルゴールを作るのが仕事なの」
「うん。正確には、オルゴールの箱のほうさ。この緑の薔薇の模様はね、ぼくが描いたんだよ」
「へえ。でも、なんで緑色なの? 薔薇っていえば普通、赤とか、ピンクとか、白とかじゃないか」
「うん。ぼくもそう思うんだ。緑の薔薇なんか、あるのかなあって。でも、なんだか、緑色に描いてしまうんだよ。つまりは、ぼくが好きなんだね。緑色の薔薇が。ぼくは、緑色の薔薇を見ていると、とても不思議な気持ちがするんだよ。ほんとうに、やさしい気持が、ここに隠れているような気がするんだよ」
「…ふうん。でも、きれいだね、緑色の薔薇って。ぼくも、好きになりそうだなあ」

オルゴールは、繰り返し、同じメロディをかなで、やがて、ねじが静かにきれて、とまりました。男の人は、オルゴールの蓋を閉めると、それをまた、カバンの中にしまいました。

「少し落ち着いたね。また、探そうか」男の人が言いました。
「うん。でも、いいの? おじさん、オルゴールの仕事、しなくていいの?」
「いやね、ほかに、大事な用があるもんだから。今日はそっちの方は休んでるんだ。とにかく今は、君の本を探さなきゃ」
そう言うと、男の人は、また、林の中の草むらを探り始めました。子供は、ちょっと首をかしげましたが、親切なおじさんが、一生懸命自分の本を探してくれるので、なんだか嬉しくて、少し勇気がわいてきて、自分も草むらの中を探し始めました。

そうして、林の梢の向こうに見えるお日様が、少し傾いて、空が赤みを帯びてきた頃、男の人が、大きな声をあげました。

「あ、あったよ! これじゃないかい?!」
子供は驚いて、草むらにつっこんでいた顔をあげて、振り向きました。見ると、男の人は、一本の木の上に登って、その高いところにある穴の中から、小さな白い本を出すところでした。子供は、うわあ!と声をあげました。白い本の表紙には、確かに黄色い鳥の絵が描いてありました。

木から下りてきた男の人から、本を受け取ると、子供は顔を輝かせ、本当にうれしそうに、何度も、何度も、お礼を言いました。
「ありがとう、ありがとう、おじさん! ほんとに、ありがとう!」
「いや、いいんだよ。よかったね。大切な本が見つかって。ぼくもうれしい」
子供はほっと息をついて、大切な本を開いて、中をぱらぱらとめくりました。本は、しばらく木の穴の中に放っておかれて、少し湿っていましたが、どこにも傷や破れたところはなく、無事に子供の元に帰ってきました。

「きれいな本だね。どんなことが書いてあるの?」男の人が尋ねました。
「うん。ぼくの好きなのはね、ここなんだ。古くて難しいことばだけど、お父さんに読み方を教えてもらったんだよ。こう読むんだ。『まことのねは、ひめたることりのしることなり』。つまりね、『ほんとのことは、秘密の小鳥が知ってるよ』てことなんだよ。…とってもきれいな言葉だろう? 意味はまだ、よくわからないんだ。でも好きなんだ。読むだけで、なんだか胸がきれいになる気がするんだよ。なんでかわからないんだけど、きっと、おじさんみたいなおとなになったら、ぼくにもわかるようになるんだと、思う。おじさんは、この言葉の意味、わかる?」
「ああ、わかるよ。秘密の小鳥は、ぼくんちの地下室にも、いるよ」
「ええ! ほんと? それって、どういうこと?」
「それは、今は知らなくていいよ。君はいつか、自然に、わかるだろうから」

子供は、本を大切に抱きながら、林の中を出て、道の方に出てきました。男の人も、その後からついてきました。
「じゃ、ここらへんで。君は学校の方にいくんだろう?」
「うん、まだ学校にカバンをおいてあるから」
「ぼくは反対側のほうに行くんだ。今日はここでお別れだね。君に会えてよかったな。本も見つかったし」
「うん。ほんとにありがとう。でもおじさん、なんでぼくの本を探してくれたの?」
「だから、君が、ぼくにとって、大切なひとだからさ」
「なんでさ。ぼく、おじさんには、初めて会うよ。おじさん、ぼくを知ってるの?」
「うん、知ってる。でも、名前はまだ知らない。君、名前は、なんていうの?」
「ぼく? ぼくは、ウジェーヌ、ウジェーヌ・ポル。おじさんは?」
「ぼくは、ノエル。覚えておいてくれるかい? いつかまた、君に会える時が来る。そのときまで、覚えておいてくれるかい? ぼくは、ノエル・ミカール。青いアコーディオンを弾くのが、仕事なんだ」

「へえ? オルゴールじゃなくて?」
「うん、それも大切なんだけど。アコーディオンの方が、大事なんだ。いつか、もう一度君に会える時、それは教えてあげるよ」
「ふうん?」

ウジェーヌは、ノエル・ミカールに、もう一度お礼を言うと、うれしそうに、林の中の道を、学校に向かって走っていきました。ノエル・ミカールは、その後ろ姿を、じっと見送っていました。

やがて、ウジェーヌの姿が道の向こうに見えなくなると、ノエル・ミカールは、くるりと後ろを向き、林の中の道を、ウジェーヌとは反対の方向へと、歩き始めました。ノエル・ミカールは歩きながら、カバンの中からオルゴールを出し、ネジを巻いて、蓋を開けました。金色の音楽が流れました。

国には不思議な王様、住んでいる。
誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。
こりすが踊って、歌ってる。
誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。
しろかねのお月さん、聴いている。
黙ってそれを、聴いている。
王様、ひとりで笛を吹いている。
カチカチ鳴るは、金時計。
こばとがきょとんと顔を出し、笛の調べに耳澄ます。
王様、笛を吹いている。
ひとりで笛を、吹いている。

「ウジェーヌ・ポル、いつかきっと君に会いにくるよ。大切な鍵を、渡しに…」
ノエル・ミカールは、薔薇のオルゴールを閉じると、それを再びカバンにしまい、林の風の中を、歩き始めました。
お日さまはもう、だいぶ暗くなって、空にかかる半分のお月さまが、白く光り始めていました。

(おわり)

 
 
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