くるりんの日記

私の日々の出来事で印象に残ったこと、思ったことを日記にしてみました。

いただいた野菜

2010年05月10日 | その他
実家の姉が新鮮な採りたての「オランダえんどう」と「ミニトマト」をたくさん送ってくれました。「ミニトマト」は宝石のルビーのように真っ赤・・・1個口に入れてみました。甘~~い。とておおいしくてまるでフルーツのようでした。
「オランダえんどう」も新鮮なのでとてもおいしいです(「きぬさや」とは別物です。近くのスーパーではあまりお目にかかりません。
いつもいつもありがとう。おいしくいただきま~す。
近所に住む長男家族におすそわけしました。
   

GW終わり

2010年05月05日 | その他
今日子供の日でGW終わりです。今年の連休は本当にお天気がよかったですねぇ
明日からは曇りになるそうです。今年の連休は結構忙しかった。振り返ると・・・
   4/29 仕事
   4/30~5/2 長崎旅行
   5/3 司馬遼太郎記念館→奈良公園
   5/4 映画
今日は久々に自宅での~んびりしています。シーツ・毛布の洗濯(と言ってもこれは洗濯機がしてくれるので自分でしたことにはならない)をして、これまた久々のガスレンジの掃除。ごとくをきれいにしました。ごとくは、大きい鍋に重曹(タンサン)を入れてぐつぐつ煮るときれいになるんですよー。私も他の人から教えてもらいました。やってみると本当にきれいになるんですよね
柏餅も食べたし・・・あとはテレビみながらのんびりします。
そして、私は明日も仕事休みなんです。ウ・レ・シ・イ~

司馬遼太郎記念館

2010年05月03日 | 美術館・博物館
5月3日。晴天
今日は主人と司馬遼太郎記念館にでかけました。今読んでいる「坂の上の雲」も7巻目に入りました。主人も一度行ってみたいところだったとのこと。近鉄「八戸ノ里」駅から徒歩8分ほどでしょうか。ゆっくり見てまわりました。
司馬遼太郎:本名は福田定一。「司馬遼太郎」というペンネームは「司馬遷(中国の史家)に遼(はるか)及ばず」という意味だそうです。
門を入り庭に面している書斎をガラス越しに見ながら、安藤忠雄氏設計の記念館の展示室へ。とにかくものすごい量の書物です。高さ11mの壁面いっぱいに書棚があり、2万余冊の蔵書がイメージ展示されています。辞書類が多いが印象的でした。展示室の椅子に座るとまわりが本・本・本・・・なんだかこんな雰囲気もいいですねぇ。いやぁ~時間あれば全部読んでみたい気持ちになりました。展示室以外に自宅にも6万冊ほどの書物があるそうです。一つの本を執筆するにも関連資料などをよく読んでいるんですねぇ。ホールでは定期的に15分ほどですが、司馬遼太郎の映像「時空の旅人」を見ることができました。帰りに文庫本を買いました。

その後、せっかく近鉄奈良線沿線なので奈良まで足を伸ばしてみました。平城遷都1300年祭ということもあり、大和西大寺駅付近で見た観光客のものすごい行列に驚き!!
奈良公園もものすごい人出です。鹿もお疲れのようで、寝てばかり。鹿煎餅も食べません。午後だったしちょうど昼寝時だったかも。あまりの人出に鹿にだけ会って帰りました。今日の目的は司馬遼太郎記念館だったので、心残りもなく帰ることができました。やはり連休中は観光地へは行くものではありませんね。

長崎市内観光

2010年05月02日 | 旅行
5月2日。旅行3日目。午前は長崎市内観光へ。
朝食後、チェックアウトして長崎港近くの駐車場に車をとめて観光に回りました。
オランダ坂、東山手の洋館群、古写真資料館、旧居留地などを見てグラバー園へ。私が中学時代に修学旅行で来たときは「グラバー邸」だったのですが、現在はいろいろな洋館を集めて「園」として整備してあり、完全に観光化されています。坂はすべてエレベーター・エスカレーターになっています。
最後に大浦天主堂へ。とてもエキゾチックですてきな教会です。教会内で「日本26聖殉教者の油絵」「信徒発見のサンタマリア」などを見ることができます。
   

正午頃に長崎から佐賀駅へ。レンタカーを返却して帰途につきました。交通がスムーズで予定より早く佐賀駅へ着いたため、予約切符を変更して少し早く帰ることができました。
本当にン十年以上前に来て以来の久々の長崎でした。

長崎市内へ

2010年05月01日 | 旅行
正午頃に島原をあとにして、長崎市へと向かいました。2日目の宿泊は長崎市です。
長崎市は特に坂本龍馬が来たところということで、どこへ行っても龍馬・龍馬・・・です。
龍馬ブームに便乗し過ぎという気もします。
まず行ったのが
 ◆平和公園:長崎県出身の北村西望氏が製作した平和祈念像
  右手は原爆を示し左は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る(作者の言葉)
 ◆長崎の鐘
 ◆原子爆弾落下中心地碑
 ◆長崎原爆資料館 です。
    

その後、浦上天主堂へ。浦上天主堂では拝観料は不要です。入場者から献金という形をとっています。浦上天主堂は爆風で全壊した悲劇の天主堂です。信徒12,000名の内8,000名が亡くなったそうです。長崎のキリスト教信徒は迫害されたり、被爆したりとなんと苦難の多いことでしょう。これも神が与えた試練でしょうか。試練と言うにはあまりにも悲しい・・・と思いました。ちょうど今週、この教会の原爆で焼け焦げた被爆マリア像が大司教と共に初めてアメリカに渡っています。ニューヨークの聖パトリック教会で被爆マリア像を迎えたミサが明日2日に行われるそうです。
なんだか今日は午前の雲仙市といい、平和公園など不幸な出来事のあったところばかりまわり、殉教の足跡を辿る旅になりました。

その後、宿泊ホテルの稲佐山観光ホテルへ。大浴場があるということと値段でこのホテルにしました。1000万ドルの夜景(100万ドルではありません)と言われています。最近100万ドルから1,000万ドルに昇格したそうです。神戸は??でも私個人の感想では神戸の夜景の方がきれいです。身内贔屓かしら?
このホテルは夕食なしプランのため、夕食は市内にでかけました。途中、丸山・思案橋・思い切り橋を見ましたが、なんと丸山公園に「坂本龍馬像」がありました。その後中華街で有名な?「長崎ちゃんぽん」を食べました。マ・ズ・イ・・・おいしくなかったです。と2人でブツブツ言いながら食べました。まだ皿うどんの方が良かったかも。

 
 

雲仙市、島原市

2010年05月01日 | 旅行
5月1日。旅行2日目。雲仙温泉から雲仙市内へ。
雲仙市というと、1990年11月に始まった普賢岳の爆発・火砕流・土石流の災害であまりに有名です。私の記憶にもあります。1991年の大火砕流では、地震学者・カメラマン・住民など40名の方が亡くなりました。噴火により溶岩ドームが形成され、平成新山となりました。新しくできた溶岩ドームの平成新山の方が普賢岳より高く標高1,483mとなりました。そのときの災害記念館が「がまだすドーム」です。「がまだす」とは方言で「がんばる・がんばろう」の意味だそうです。ドーム型スクリーンで火砕流・土石流の疑似体験ができました。また、溶岩ドームというものを上空から撮影した映像で見ることができました。このドームからは今も地肌がむき出しになった斜面が目の前にあり、災害の大きさを痛感しました。
住民のみなさん、がんばれ
 

「がまだすドーム」を後にして美しい島原城へ。ただし現在の島原城は1964年に落成した復元天守です。天守にはキリシタン資料が中心に展示されています。長崎らしいですね。
4人の少年を遣欧使として派遣もしました。そのうち1人千々石ミゲルは棄教したとか・・・どうしてでしょうね。島原城というと思い浮かぶのが島原の乱の「天草四郎」。橋幸夫の「南海の美少年」を思い出してしまいました(古いなぁ~)。天草四郎の像も敷地内にありました。なるほど・・・美少年です。が、天草四郎が立て籠もった城は「島原城」ではなくて「原城」なんです。原城は島原城とは全く別の所にありますが、現在は城跡しか残っていません。島原城からは離れているため、今回は原城跡には行けませんでした。
売店で島原名物「寒ざらし(かんざらし)」を食べました。
白玉粉で作った小さい団子を冷やしたものを、蜂蜜と白砂糖で作った蜜をかけて食べます。蜜をかけるというより、「蜜の中に白玉団子が浮かんでいる」と表現した方が正しいのでは?と思ってしまいました。「寒ざらし」という名前は、大寒に原料の米粉を水にさらすことから「寒ざらし」という名前がついたそうです。とっても甘~くて・・・おいしかったです。