<「新山」の風景>
●歩いた日:2023年7月31日(月)
●歩いた所
・黒 鐙(清水):上黒土、金鐙
・国 見(横沢):下仲島、豊成、新山、大動防、八幡前
・東長野(豊川):新山
●歩いたログ(足跡)(道のり7.3km)
(以上の地図:国土地理院)
ここ(📸005)から来た道を少し引き返し、水路を渡って東に延びる道を進む。
📸006:「金鐙」の風景2
一面に田んぼが広がる中に、これだけ高い木立が立ち並ぶ風景は、ほとんど見たことがない。堂々たる姿?である。
杉林の右端に見える赤い屋根が「多目的研修センター」で、そこから木立のすそを左に進み、手前に来たところ。
さらに東に向かうと「県道259号」に出る。この辺りは「豊成」で、「国見(旧太田町横沢)」になる。しばらく県道を進むと大きな十字路に至る。
📸007:「新山」の風景
「県道259号」を奥から来たところ。県道右側(北側)に「新山」の家々が建ち並ぶ。
県道の左側(南側)に見える家は「大動防」のようだ。
十字路の南西脇に小さな祠が建つ。
📸007:「大動防塚」
祠の中には「大動防塚」と刻まれた石碑が収められている。「大動防」はここの南東一帯の地名であるが、その由来を「地名へのいざない」を開いて見ると・・。
「大動」は「仏教の教え」あるいは「大道(大きい道)」の意、「防」はもともと「坊」で、「僧坊」、「一画」などの意で、寺院や僧の宿坊、あるいは藩政時代の幹線道路の一画を指すか、とある。
また「太田町史」には、修験者の遺徳を偲んで石碑をたて、そこに祀ったことからこの地名になった、ともある。その石碑がこれだろうか?。なかなか面白い地名である。
十字路から北に向かう。すぐ右手に広場があり集落会館が建つ。ここは「八幡前」の一画で、その集落会館である。
家々が建つ小高い場所から下り、田んぼ中をしばらく北に進んで、「斉内川」にかかる橋に至る。橋の北側の地名をとった「東長野橋」である。
📸008:「東長野橋」から上流を望む
橋の上から上流を望んだ写真。右端に、7月中旬の大雨の時に流されて来たのだろうか、流木が写る。
ところで、橋の北側は「東長野」の「囲ノ内」である。ここは2017年8月に歩いてブログに載せた(「旧中仙町豊川を往く」、2017.9.9~掲載)。
その時の本文に、いつか「斉内川」の南側を歩くときにログ(足跡)をつなぐために、・・・橋(「東長野橋」)を渡ってから引返す、と書いている。その「いつか」が、それから6年ほど経て今になった。
(④に続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます