<「上村」から「神成橋」方面を望む>
●歩いた日:2024年5月12日(日)
●歩いた所
・斉内(旧太田町):川原
・大神成 :前田、上村、フカウヂ
●歩いたログ(足跡)(道のり5.4km)
(以上の地図:国土地理院地図に加筆)
(📸004で)東を向くとまたY字路がある。右手、段丘際の狭い道に入ったところで、道から段丘下を眺める。
📸004:「上村」から「神成橋」方面を望む
こうして見ると、段丘の高さが実感できる。右上、代掻きが終わった田んぼの向こうに「神成橋」が見える。
橋の向こうは「旧太田町」の「斉内」。
段丘上の立って居る場所は「上村」だが、下の田んぼは「前田」である。「前田」の人たちが拓いた田んぼなのだろう。
目を東の方に移す。
📸004:川を横断する「第二田沢開拓」の用水路
中央に、「斉内川」を横断する「第二田沢開拓」用水路のパイプラインが見える。これまで「田沢疎水」の用水路が川を横断する場所に何か所か立ち寄ったが、いずれも川の下に掘削された隧道(トンネル)で横断していた。ここはパイプラインにしなければならない理由が何かあったのだろうか。
パイプラインのすぐ下流(右側)に潜水橋があり、この後立ち寄る。
また東に向かおうとすると、道の反対側(北側)に建つ白い標柱が目に入る。
(「お金塚の松」の標柱)
標柱には「お金塚の松」とある。上を見やると老松が茂っている。
標柱を見た時は、「お金」は人の名前だろうと思ったが、側面の説明書きに、三角形の枝組を見せている3本の古い松の下に庚申塚が立っていたことから、「庚申(カノエタサル)」→「オカノエ塚」→「お金塚の松」と呼ばれるようになったとある。
少し東に行ったところで、松の全容をカメラに収める。
(「お金塚の松」)
標柱には樹齢不詳とあったが、見事な枝ぶりの松である。ちょっと見には3本の松には見えないが、三角形の枝組に見えなくもない。
根元に庚申塚と思われる石碑がのぞいている。
さらに進む。
(「上村」の一角)
奥から来たところ。右上に「お金塚の松」。
道沿いに杉と思われる木の伐り株が並んでいる。伐られる前は風情のある道だったと思われるが、杉で日陰になり、落ち葉の処理にも手間がかかるので伐ってしまったのだろう。
(④に続く)
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