<S50年の「大神成前田」付近の様子>
●歩いた日:2024年3月24日(日)
●歩いた所
・栗 沢:柏木野、向野
・大神成:野中、十二田、坊谷地、蓬田、山回、上村、前田、西村
●歩いたログ(足跡)(道のり6.0km)
(以上の地図:国土地理院に加筆)
最後に、いつものように昔の航空写真を見てみる。今回も最新の写真がないのでS50年の写真から。まずは歩いたところ西側の部分。
左端、「P」と記したところが車を停めた場所。「県道50号」は現在とほぼ同じ道筋。ただ、「斉内川」にかかる「堀口橋」は、現在の橋に架け替えられる前の橋(前回も書いたように、S51年にすぐ上流側(東側)に架け替えられた)である。
「P」の十字路で、東西に走る道が少し屈折している。現在の十字路の写真は(車を停めた「柏木野」の十字路)として先に掲げたが、東西に走る道がピンクの線に付け替えられて、十字路での屈折がなくなっている。やはり十字路で一時停止した車が、前方をまっすぐ見通せるようにしたと思われるのだが・・・。
橙色の線が今回歩いた道筋だが、左上、「十二田」のところは田んぼの区画整理前で、当時は道がない。
右下隅に注目していただきたい。📸014の五差路のところが、当時は丁字路になっており、そのすぐ北に、現在の五差路に何やら似た四差路がある。よく見ると、四差路から東側に延びる2本の道が、橙色の道に付け替えられて、現在の五差路ができたようだ。メインの道である一番の南側の道(今回歩いた道)の整備に合わせて付け替えたと思われる。
四差路のすぐそばにある木立に「A」、「B」と印を付した。田んぼ中にポツンとあるこれらの木立は墓地と考えられ、その位置はS23年当時と変わらないはずなので、両年の写真を比べ易くするために付した。そして、後でS23年の写真を見ると、当時は、「B」の木立のすぐ西側、ピンクの「●」の辺りに五差路があったことがわかる。周辺の土地が開田されるのに伴って道が付け替え・整備された結果である。
右上隅の黄色の矢印は、(「坊谷地」の一角2)に写る「塞三柱大神」の石碑の位置である。石碑の隣に大きな伐り株が写っていたが、この写真を拡大して見ると、確かに大きな影を伴った大木が茂っているようだ。S23年の写真でもこの位置を確認してみたい。
次にS50年の東側の写真。
前の写真と同様、橙色線は歩いた道筋。当時は「みずほの里ロード」は未開通だが、「⇐」で指し示した部分が「みずほの里ロード」に相当する部分である。
「第二田沢開拓」幹線用水路はすでに開通しており、「菅原神社」のすぐ南側を通っているのも分かる。
中段やや左寄りのところに、ログ地図にも記されている二つのため池が見える。そして、その南東の少し離れたところにも、水が少ししか残っていないため池が写っている。このため池はS23年にはいっぱいの水を湛えて写っている。その場所は📸013に写る、道角脇の広場である。農業用水が安定的に確保できるようになって、その役割を終えたのだろう。
最後にS23年の写真。
だいぶ見づらいがご辛抱願いたい。
まず目につくのは、「坊谷地」、「山回」北側の広い範囲、「前田」の集落南一帯に田んぼが広がっていることである。「十二田川」、「内沢川」の水によって田んぼが拓かれ、「大神成」のムラが作られたことが一目瞭然である。
一方、「西村」の西から南にかけては畑と思われる土地が、そして、そのさらに西側、「野中」から「柏木野」には森林と原野が広がっている。当時ここに立つと、どんな風景が見られただろうか。
左端の「P」が車を停めた場所と思われるところ。「斉内川」に「堀口橋」が見えるので、現「県道50号」の道は通っていたと思われるが、森林で道筋がよく分からない。
S51年の写真と見比べながら、中央やや下に「A」、「B」の木立を記してみた。「B」のすぐ西側に、「十二田」、「堀口橋」方面に向かう道などが交差する五差路が見える。そのすぐ右手のピンクの矢印がS50年の四差路、橙色の矢印が現在の五差路と思われる位置である。
中央右下、「前田」と記載した左上に、S50年の写真では水がだいぶ少なくなっていたため池がはっきり写っている。この写真を見なければ、S50年にここに写っているのがため池だとは気付かなかった。
右寄り、「小道」と書いた矢印のところに、よく見ると細い道が写っている。📸011の「上村橋」の上から「内沢川」の上流を撮った写真に写る石橋は、この小道に向かうために掛けた橋である。田んぼへ行くほか、「菅原神社」や山へ行くための橋だったようだ。
中央やや上段、ピンク色の太い矢印の先に大きな木が写っている。(「坊谷地」の一角2)の写真に写る、「塞三柱大神」の石碑脇の大きな伐り株は、この木に違いない。
(終わり)
●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:650.7km)
累計の道のりが650kmを超えましたが、「仙北平野」を歩き尽くすにはまだまだ先が長いです。
さて、「斉内川」沿いを歩いて「東山(奥羽山脈)」の麓までたどりつきました。が、ログ地図を見るとわかるように、今回歩いたところのさらに東側、山懐に抱かれるようにしてまだ集落があります。是非、そこの風景も見てみたいと思い、この5月に歩いてきましたので、次回からはその記事を掲載する予定です。
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