これは、以前も記事に書いたことがあるのだが、以下のような一節が見られる。
又復た法師、能く一切の国土中に於いて、一人を教化し、出家し菩薩戒を受けしむるは、是の法師、其の福は八万四千塔を造るに勝れり。況んや復た二人・三人、乃至、百千となれば、福果、称量すべからず。其の師とは、夫婦六親、互いに師と為りて授けることを得る。
『菩薩瓔珞本業経』「大衆受学品」
『瓔珞経』は中国成立だとされているので、インドでの大乗仏教の話というよりも、中国でどう大乗仏教を解釈したのかが問われているともいえるが、記事のタイトルにも関わることとして、「其の師とは、夫婦六親、互いに師と為りて授けることを得る」とあることである。これはつまり、菩薩戒の師(戒師)としては、夫婦や六親(親族)がお互いに師となって、お互いに授けることで戒を得られるという立場であるといえる。
少なくとも、本経典では、菩薩戒を授ける師として、出家者に限定されておらず、在家者でもなれることを意味していよう。その際、夫婦同士で、お互いに戒師になり得ることを示すのである。どうも、菩薩戒というのは、先に受けたということだけが、戒師になる条件ともなるので、夫婦の間でも先に受けた人がいれば、相手に対して戒師になり得るのである。
其の戒を受くるは、諸仏界の菩薩数中に入りて、三劫生死の苦を超過す。是の故に応に受くべし。
同上
ところで、この戒を受けるとどうなるのか?上記の通り、菩薩数中に入るとある通りで、菩薩の仲間入りをするのである。この菩薩とは、少なくとも『瓔珞経』の文脈では、出家を重視してはいると思うのだが、出家のみを意味しないようである。出家菩薩もいれば、在家菩薩もいる。ただ、菩薩になった功徳として、三劫という長期間に及ぶ生死の苦を超過するのである。そのため、まさに受けるべきであるとされる。
世間としては、何をもって「いい」とするのかが問われるのだろうが、『瓔珞経』的には、お互いの苦を解消するために、身近な人を師として菩薩戒を受け、菩薩となることを目指すのも良いわけである。そのため、中国では本経典の成立後、複数の文献で引用され、菩薩戒の受戒の功徳を高らかと説いたのである。
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