○経に又た云く、七月十五日、僧の自恣日なり。当に七世の父母及び現在の父母の厄難中の者の為〈此の文、又た通ず。現在の父母を保安す〉に、飲の百味五果、汲灌の盆器・香油・挺燭・床敷・臥具、尽く世の甘美たるを具え、以て盆中〈盆会の中〉に著けて、十方の大徳・衆僧を供養す。又た云く、初めて食を受くるの時、先づ仏塔中を安洒し、衆僧呪願し竟れば、便ち自ら食を受く〈若しくは仏の食を供養し、回して僧に供する者、即ち此の日に得て、他日には通ぜず。今、却って寺中に於いて、亡人への供を設くるは、蓋し之れ誤りなり〉。
『釈氏要覧』巻下「盂蘭盆」項
こちらは、『盂蘭盆経』の要約と言える文章であるが、異なっているのは割注の内容である。例えば、「若しくは仏の食を供養し、回して僧に供する者、即ち此の日に得て、他日には通ぜず。今、却って寺中に於いて、亡人への供を設くるは、蓋し之れ誤りなり」には注目しておきたい。
つまり、7月15日(ここが、近代では新暦への移行をもって、8月15日になった)の自恣の日(安居中の問題を、お互い指摘する日)に、仏への供養を回向して、僧を供養すると、その功徳は当日に得るのであって、翌日以降には得られないとしている。よって、7月15日という日付が非常に重要だとなる。
ただし、ここまではまだ分かる話である。問題は、その続きであろう。
つまり、この仏への供養を僧に回向する話というのは、仏塔での供養を実施している。だが、それとは別に、寺中にて、更には亡者を対象とする供養を行う者は、誤っているとしている。現状、日本の盂蘭盆会で行うのは、その方法であると思うのだが、何故か否定されている。
なお、「仏塔」云々については、『盂蘭盆経』で指摘することであるし、その際に、仏を供養した食事を、僧衆で分けるように促しているので、『釈氏要覧』では『盂蘭盆経』の方法に戻すように促している。だが、おそらくは中国で、孝の考えをより強調していった時、供養する対象が亡者(先祖)へと変わっていったということなのかもしれない。
そして、現状の日本の作法が、中国由来ということも理解出来たことが、今回の記事の成果といえようか。
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