霊裕法師の寺誥を案ずるに、凡そ寺に十名有り。
一に曰く、寺、義は釈名に準ず。
二に曰く、浄住、穢濁は同居すべからず。
三に曰く、法同舎、法と食と、二同界なり。
四に曰く、出世舎、世俗を出離するの所を修するなり。
五に曰く、精舎、麁暴の者の居す所に非ず。
六に曰く、清浄園、三業無染の処なり。
七に曰く、金剛刹、刹土堅固にして道人の居する所なり。
八に曰く、寂滅道場、祇園に蓮華蔵世界有り。七宝を以て荘厳す。之れを寂滅道場と謂い、盧舎那仏、華厳を此に於いて説く。
九に曰く、遠離処、其の中に入る者、煩惑を去ること遠く、寂滅の楽と近づく故に。
十に曰く、親近処、安楽行を行ずるが如きは、以此の中で以て、法に近づく故なり。
此の土の十名、祇洹図経に依る。釈相各おの意致有り。彼の寺誥の如くなり。
『大宋僧史略』巻上「創造伽藍」
とりあえず、以上の文章を引いてみた。これは、霊裕法師の「寺誥(寺に対して申し付けたこと)」に見え、更にはここの「十名」とは、南山道宣『祇洹図経』に載っているものを引用したという。これは、『大正蔵』巻45に収録される同図経の『祇樹給園図』に見えるものであるが、その文献でも「彼の寺誥に云く」とし、引用したものとなっている。なお、各用語の解釈は本書の付記のようである。
そうなると、元々の「寺誥」を見てみたいものだ。だいたい、この霊裕法師については、北斉から隋の時代にかけて、当時の仏教教学界を代表する僧侶だったとされ、最近の研究で生没年は517~605年だったとされる。それで、その著作はほとんど現存していないようで、今回のも、結局は道宣の著作から考えるしかないようである。
それにしても、寺の「十名」を見てみると、唯一「浄住」のみ、「浄住寺」という感じで寺名に用いられている感じがする。後は、「金剛刹」も「金剛寺」で良ければ寺名になっていると言える。だが、他は特にないと思われる・・・「清浄寺」ってあるのかな?(追記:国内にあることが判明。浄土系の模様)
それから、上記の十種を並べてみると、「清らか」というイメージを持つ言葉が多い気がする。浄住もそうだが、清浄園もだし、遠離処も、結果としてはそういう意味だろう。
つまるところ、寺とはそういう場所ということか。そういえば、「寂滅道場」は「蓮華蔵世界」とか『華厳経』の語句が出ているが、一方で、『梵網経』にも見える。
吾が名悉達、七歳で出家し、三十にして成道す、号して吾を釈迦牟尼仏と為す。寂滅道場に於いて金剛花光王座、乃至、摩醯首羅天王宮に坐す。
『梵網経』巻下
こちらは、出家の年齢も含めて問題とされる一節ではあるが、ここに寂滅道場が出て来る。この辺も、『華厳経』の影響などが感じられるわけだが、やはり蓮華蔵世界としての場所が、寂滅道場ということになるようである。
・・・何か、もっと膨らましようがあるネタかと思ったが、意外とそうでも無かった。
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