或る日、越前(現在の福井県東部)の修行僧が来て語るには「最近、我が国元にて、或る家に雷が落ちたそうです。12歳になる、その家の娘が『ワッ』と言って、母親に抱きついたところ、雷までも一緒に抱き留めたそうでございます」と。
お師匠様がそれを聞いて仰るには「なかなか、見るべき所があるではないか。無心の子供に抱かれて、(雷も)その働きを奪われて力を失ったのだ。無念の力に逢って、雷も腰を抜かしたという道理であるけれども、何事にしても、無念無心の力には、正面から適うモノはないのだ。つまり、化け物だ、幽霊だなどと、人を食うようなことはない。虎や狼よりも、ひとすじに安心できるものではないか。ただ、人は臆病だから、自分自身と、その働きを失うものだがな・・・」と。
『驢鞍橋』上-52、『鈴木正三道人全集』153頁、拙僧ヘタレ訳
なんだか、凄まじい話のように感じるのは、拙僧だけではないでしょう。なにせ、雷を捕まえたんですよ。いったい、どんな姿をしていたんでしょうかね?まさか、雷鳥だったとかいうオチはないと思いますけれども・・・って福井だからいないかな?雷鳥。
それにしても、この鈴木正三が信じる「無念無想の力」ですけど、これを聞くと思い出すのは、『北斗の拳』でラオウがトキとの戦いで見せた「無想陰殺」と同じものなのか?と勝手に無想じゃなくて、夢想する拙僧。参考までにこの技は、後ろから敵が攻撃してきても、無念無想のままに反撃するという技であり、北斗神拳の奥義に入るものなのです。どうでも良いけど、ラオウって、ろくな技を使ったことがないような気がするんですけど、どうでしたかね?いつも、気合いで、「ウオリャー」みたいに拳や蹴りを繰り出すけど、「北斗百裂拳」みたいな感じはないですよね。
いや、まぁ、この記事には全く関係ない話なのでラオウはどうでも良いんですけど、しかし、おそらくラオウなら雷を捕まえることが出来たのではないか?と勝手に思う拙僧。この12歳の少女も、北斗神拳伝承者になる資格があるかも・・・
そういえば、この訳した文章の最後に、化け物とか幽霊とかいう話が出ていますけれども、鈴木正三は戦場に身を置いたということで、そういう幽霊のような存在について、素朴に恐ろしいという考えを持っていた半面、それこそ我々の恐怖心が作りだしたものに過ぎないといって克服しようとします。おそらく、この恐怖心の克服に「無念無想」を用いていたのだろうと考えられます。
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tenjin95
コリン星
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