南山律師〈道宣〉
優波離の後身、韋将軍足を捧ぐ。
布衣真童男、瓦鉢天厨に食す。
咦
歴劫の戒光秋月明らかで、南山静照す烟霜の色。
『如浄和尚語録』「讃仏祖」
まず、当方の疑問としては、何故、南山道宣律師の讃を如浄禅師が詠まれたのか、である。無論、正確なところは分からないし、もしかすると単純に誰かが道宣律師の絵を画いてきたので、請われて記しただけかもしれない。
また、「讃」であるから、当然に道宣律師を貶したりはしない。
上記内容としても、如浄禅師はまず、道宣律師こそは優波離(釈尊入滅の後、仏典結集で『律』を担当した弟子)の生まれ変わりであり、韋将軍(韋駄天)がわざわざ道宣の下にやって来てその足を持つほどの鑽仰を受けたとしている。
その次の一節については、当方もよく分かっていないところだが、正しい袈裟を着け、道宣律師が持つ鉢盂には天部の者も供養するほどであったということか。
無限の戒光は、秋の月のように永くこの世界を照らすが、それはまさに、南山道宣律師が静かにこの世界を照らして煙立った色なのである。
無限の戒光を讃えているあたり、如浄禅師が道宣律師の律学に対して敬意を払っていたことは明らかである。今回はそれが分かっただけで良い。
なお、今日7月17日は、如浄禅師の忌日とされる。その供養の気持ちも込めて、この記事を示した。合掌
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