受戒の功徳殊勝の行、
無辺の勝福皆な回向す、
普ねく願わくは沈溺の諸有情、
速かに無量広仏刹に往かんことを、
回向因縁三世仏、諸尊菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜。
『伝授三壇弘戒法儀』
類似した偈文(回向文)は、中国明代あたりから編まれた受戒作法書などに見られるものである。よって、受戒の法会が行われた時に唱えられたものだといえよう。
ところで、この偈文には幾つかの類似した表現があるのだが、違いとしては、4句目の「広仏刹」が「光仏刹」になるパターンがあるということと、「略三宝」の「回向因縁三世仏」が、通常の「十方三世一切仏」となる場合がある。
個人的には、「広仏刹」よりは、「光仏刹」の方が、いわゆる無量光仏たる阿弥陀仏が主宰する極楽浄土のイメージになるので、適しているのではないかと思う。
さて、この一節は、「回向文」である。つまり、受戒の功徳が殊勝の行となり、得られるところの無辺の優れた福徳を、皆回向し、苦悩や迷妄に沈溺する諸々の有情が、速やかに極楽浄土に往くことを願うという。
つまり、受戒の功徳を、自己自身の得道のみならず、一切衆生の往生のために回向するわけである。他にも、受戒の功徳を回向するというと、以下の一節も知られる。
回向して云わく、上来剃頭受戒の功徳は、護法天龍伽藍真宰に奉祝し、各おの威霊に展じて僧を安んじ護法せんことを。
『勅修百丈清規』巻5「沙弥得度」
こちらは、出家得度の時の回向文ではあるが、一応受戒なので採り上げてみた。ただし、こちらは天龍や伽藍神に奉り、自己自身の修行が進むよう、僧を安んじ護法してくれるようにと願っている。
やはり、どうしても自己自身の修行として捉えられやすい受戒だが、菩薩行として展開すれば、衆生に回向するわけである。その辺の思想が反映されたが故の、冒頭の回向文であったかと感じた次第である。
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