濁劫悪世の中には 多くの諸の恐怖あらん
悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん
我等仏を敬信して 当に忍辱鎧を著るべし
是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん
『妙法蓮華経』「勧持品第十三」
上記一節は、要するに世間が悪い時期には、仏教徒に多くの恐怖がもたらされるので、我等は仏を信じ、「忍辱鎧」を著るべきだというのである。そうなると、「身に着ける」仏具であることが分かるのだが、更に以下の一節などはどうか?
○如幻三昧経に云わく、無垢衣、又た忍辱鎧と名づく。
『釈氏要覧』巻上「別名」項
ここで「忍辱鎧」という名称が出て来る。典拠となっている文献を見てみたが、現在、『大正蔵』などで読むことが出来る『如幻三昧経』には「忍辱鎧」が出て来ない。そこで、そろそろ答えを出すが、以下の一節を見てみよう。
又た問う、汝の被る所の衣、何等と名づくるや。
答えて云わく、忍辱鎧なり。
『道宣律師感通録』
このように、比丘が身に着ける衣を、「忍辱鎧」と呼んでいる。つまり、袈裟の別名が「忍辱鎧」である。この場合の「忍辱」とは、自己にとっての逆風・逆境に耐えることである。何故、耐えることが出来るのかといえば、以下の一節などが参考になる。
世間を観ずるに空・無常なるが故に、摂心して忍辱を行ず、忍辱、亦た是れ三昧門なり。
『大智度論』巻28
結局、世間の事象とは空・無常であるから、逆風・逆境は自ずと終わったり、変化したりする。それまで、自己自身の心を収め(内に向かわせて)三昧にあって、「忍辱」するのである。
ところで、何故、袈裟が「忍辱鎧」になるのか?といえば、以下の一節が参考になる。
大慈悲を室とし、柔和忍辱を衣とし、
諸法空を座とす、此れに処して為に法を説け。
『妙法蓮華経』「法師品第十」
また『法華経』からの引用だが、柔和忍辱なる如来の特質が、そのまま衣(袈裟)であるから、忍辱の衣なのである。如来衣としての忍辱衣である。そして、その様子が修行僧を守るという印象から、「忍辱鎧」になるわけである。
如来衣を著けて法空処に入る、即ち是れ一心を守り之の如き観る。謂わく三界に渉り普化するの時、忍辱衣を著ければ疲倦せず,還た法空に入りて一心如を守る。
『金剛三昧経論』
忍辱衣を着けると、疲れないらしい。三界に渉り、逆風の中で布教する時には、袈裟を身に着けるべきなのだろう。それが比丘の身を守るわけである。ということで、「忍辱鎧」と、関連する「忍辱衣」を紹介してみた。
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