十月 初一日開炉
『勅修百丈清規』巻7「月分須知」項
旧暦の状況ではそういう日なのだが、この日に因んだ説法があったので、それを学んでおきたい。
十月朔一、書記至るの上堂。
天地一指、万物一馬。
二由一有り、一亦た放下す。
拂子を撃つこと一下して云く、
然後に向う者の裡に拈起す、之れを衲僧火柴頭と謂う、
大海波心軽律動す、須弥頂上に汗通流す。
今朝、此れ開炉を以て、無賓主話の趙州を勘破す。
然りと雖も暖処に帰らんと擬して、箭、髑髏を過ぐ。
『如浄和尚語録』巻上「清凉寺語録」
まず、これは、中国禅宗の天童如浄禅師(1165~1227)による説法である。残念ながら、『如浄録』は実質的な略録なので、詳細な年次まで定めることは難しい。そこで、当上堂の内容としては、「十月朔一」とあるので、10月1日に行われている。その日に、如浄禅師の会下に、書記の配役が定まったことを意味している。
そこで、書記の意義について、天地を一指に納め、万物は一体の馬の如くである。その2つが1つとなり、その1つとなったところで、それを置いてしまう。この辺は、仏法の納まり具合を説示したものだと理解して良い。その上で、如浄禅師は拂子で(おそらくは法座上の椅子を)一撃し、その後ろに向かう者の内にこそ、拂子を立てるという。これを、「衲僧火柴頭」という。これは、衲僧の内にある仏性の種火のことをいう。
しかし、その小さいかも知れない仏法の働きが、大海の波となり、須弥山頂上に汗が流れるのである。
さて、10月1日は、上記で挙げたように開炉である。これで、趙州従諗禅師の「無賓主話」を看破するという。
師、垂語に云わく、我れ行脚に向かいて、南方に到りし時、火炉頭なり。箇の無賓主の話有り、直に如今に至りて、人の挙著すること無し。
『聯灯会要』巻6
多少、文章表現は違う場合があるが、これのことである。南方に行った趙州禅師が火炉頭(要するにストーブ当番)だった時、「無賓主話」などは無かったし、今に至っても、誰もその真実を把握しない、と述べている。ただこれだけだが、如浄禅師は今日という開炉の日に、この真実を看破するというが、暖処(火炉の入った僧堂)に帰ろうとして、箭が髑髏を過ぎている、としている。
要するに、余りのんびりするな、ということであるが、そもそも、「無賓主話」とは何であろうか?賓主とは、客と主人のことだが、それが無いとしている。ここで説明口調で言えば、彼此の対待が無いということである。それが何故、火炉に伴って話されているのか?火炉の火に注目してみると、すぐに分かると思う。
ということで、まだ火炉が出ていない新暦の今日、これを参究しようとしても、真夏日の地域も多いようだから、むしろ、太陽の熱気の下に、無賓主を参究した方が良さそうだ・・・
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