大戒の三帰は、仏、初め人を度するに未だ羯磨を秉る已前、三帰を受けて得戒する者有り、善来して得戒する者有り。
今、此の宗中、但だ信邪を明かす日久しし。今、創めて心を易えて正しく仏に帰するに、今、先に三帰を受けて後に懺悔を始む。是れを翻邪三帰と名づく。
故に智度論に云く、先に三帰を始めて、後に懺悔を始む。若し久来、仏を信ずれば、先に三帰を受くるを須いず。但だ五戒・八戒、三帰に依る。先に懺悔し已りて、後に三帰を受く。然る後に戒相を説く。
『法苑珠林』巻87「受戒篇第八十七・受法部第五」
この「翻邪三帰」という語句について、当方は曹洞宗の近代を代表する宗師家であられた丘宗潭老師『禅の信仰』で知ったのだが、丘老師のご見解はまた、別の記事で学ぶ機会を得てみたい。
そこで、引用した上記の一節については、要するに三帰と懺悔とどちらが先か?という問題意識なのである。それで、まず、羯磨(授戒作法)が無かった頃は、三帰や善来比丘という言葉で得戒した事例があったという。これはこれで、この通りである。
一方で、ここで問題にしたいのは、心を易えて仏に帰依しようとする時には、先に三帰を受けてから、懺悔を行うという。これを、「翻邪三帰」と呼ばれているそうだ。
ただし、もし仏を久しく信仰していた人の場合は、先に三帰を受けるという作法をせずに、五戒・八戒・三帰を受ける時、先に懺悔してから三帰を受けて、戒相を説くという。
ところで、上記引用文の問題は、幾つか存在しており、最大のものは、『大智度論』からの引用とはなっているが、実際に同文は存在しない。それから、懺悔と三帰の関係を厳密に論じたものも意外と多くない。この辺は、もう少し他の経論を見ながら考えてみる必要があるのかもしれない。
なお、現行の曹洞宗では、明らかに懺悔が先で、三帰が後になっている。他の戒は、三帰を受けたことによって受けられる。つまり、懺悔より先に、三帰があることが、良く分からないのである。これ、他にもあるのかな?
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