また、「四苦」については簡単に論じておきたい。
生老病死憂悲苦悩
『長阿含経』巻10「第二分大縁方便経」
「四苦」とはいうが、上記のように表現されることもある。生老病死から、憂悲苦悩までは我々自身の苦悩を示す。
さて、それで「八苦」の話なのだが、阿含部の経典には以下の教えもある。
生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎会苦、愛別離苦、所求不得苦、略五盛陰苦。
『中阿含経』巻7「舍梨子相応品分別聖諦経」
ここから、いわゆる「四苦八苦」ともに書かれていることが分かる。気になるのは、最後の「略五盛陰苦」なのだが、この「略」とは「略説」のことらしい。ところが、漢訳仏典だと以下のような記述の場合もある。
生苦、老苦、病苦、死苦、憂悲悩苦、恩愛別苦、怨憎会苦、所欲不得苦、合して五盛陰苦なり。
『阿那律八念経』
これだと、「八苦」には「五蘊盛苦」が入っておらず、むしろそれ以外の八苦を総合して表現されたものとなっている。つまり、いわゆる「四苦八苦」がこれまでよくいわれるような表現かどうかは、別の問題なのかもしれないということである。それを思って以下のような一節を見ると、なるほど、と思う。
謂わく、生苦、老苦、病苦、死苦、恩愛別苦、怨憎会苦、所欲不得苦、是の如く五受陰苦を略説す
『雑阿含経』巻14
これも、七苦について示し、それらを総合するのが「五受陰苦」になっている。
いわゆる生苦、老苦、病苦、死苦、憂悲悩苦、愁憂苦痛なり、称記すべからず。怨憎会苦、恩愛別苦、欲する所を得ず、亦復た是れ苦なり。要を取りて之を言わば、五盛陰苦、是れを苦諦と謂う。
『増一阿含経』巻14「高幢品」
これもやはり、数え方からすると、生老病死に加えて、憂悲悩苦となり、そこから更に二苦(「欲する所を得ず」を「求不得苦」と見て三苦か?)が挙がって、それらを「五盛陰苦」でもってまとめている。これらの記載から考えると、やはり「五蘊盛苦」というのは、それまで列挙された苦悩とは一線を画していることが分かる。漢訳では分かりにくいのだが、「五蘊盛苦」とは「五蘊=色受想行識」への執着により起こる苦悩であるという。そうなると、全ての苦悩はこの「五蘊盛苦」で説明出来る、或いは「五蘊盛苦」さえ解決すれば、他の苦悩も解消出来るということになるのだろうか。
次に人身を観ずれば、一切皆な生苦・老苦・病苦・死苦、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦、飢渇困苦、欲苦・瞋苦・嫉妬等苦、両舌悪口寒熱等苦、諸苦・獣苦、悪王等苦有り。是れ人身中に是の如くの苦を受く。
『大方等大集経』巻33「日密分中分別品」
何と、こちらには「五蘊盛苦」が出ないし、十五苦となっている。もうこの辺になると何が何だか良く分からない。ただし、「四苦八苦」に基づきつつ、人身の苦悩を列挙することで、苦悩を具体化させたのだろうか。
いわゆる八苦とは、一に生苦、二に老苦、三に病苦、四に死苦、五に所求不得苦、六に怨憎会苦、七に愛別離苦、八に五受陰苦なり。
『大般涅槃経』
これは、阿含部の『大般涅槃経』である。同経は、釈尊が説かれた様々な教えが、数字とともに列挙されることが特徴ではあるので、まず後代に纏められたことは明らかなのだが、ここで、「五受陰苦(五蘊盛苦)」の位置付けが明確とはならずに、他の苦悩と一緒に並べられているだけであった。
近代以降の仏教の概論書では、この辺の列挙となった状況のみで意味などを書くだけであるから、「四苦八苦」内部の関係性や、実践的な解決法などが見出されないものであった。だが、どうも幾つかの阿含経典を見ると、「五蘊盛苦」の位置付けは根源的である。他の苦悩を略説すれば「五蘊盛苦」になると考えられるためである。
すると、釈尊に於ける苦悩の解決は、「五蘊」についての執着する心の観察が肝心だといえるのだろう。まぁ、この辺は最近の原始仏教・初期仏教に対する概論書でもいわれることだから、漢訳仏典もちゃんと読めば、その辺が分かるものだった、という話にしておきたい。
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