つらつら日暮らし

盂蘭盆会と釈尊の弟子について

7月は東京や神奈川の一部で「盂蘭盆会」の季節となっているが、以前に【施食会と盂蘭盆会の関係について】で示した通り、曹洞宗では「施食会」という儀式で盂蘭盆会を行う。施食会は古来から「施餓鬼会」「水陸会」「冥陽会」などと呼ばれた儀式で、餓鬼道にあって苦しむ一切の衆生に食べ物を施して供養するという内容である。

そもそも餓鬼道とは「生前に嫉妬深かったり、物惜しみやむさぼる行為が甚だしかった者が赴く場所である」とされた。もしくは、ヒンドゥー教では死後1年経つと祖霊の仲間入りをするが、その1年間に供物がきちんと与えられないと亡霊となってしまい、これが餓鬼であるともされるようだ(人権問題的には、色々と注意しなくてはならないと思う)。

そこで、中国ではこういった餓鬼道へ堕ちないように、餓鬼を供養することが流行した。その原典は、不空訳の『瑜伽集要熖口施食起教阿難陀縁由』(『大正蔵』巻21所収)に、阿難尊者(釈尊の従兄弟)が自分が餓鬼になることを免れるために餓鬼に施食し、陀羅尼を誦したと説かれることに基づいている。元々は密教系の経典・儀軌だが、それが各宗派に導入されて現代に到る。あ、でも、日本仏教では一部宗派で実施しないという。

日本では、この阿難尊者の説もさておき、盂蘭盆会の伝説である目連尊者の故事を良く引用される。元々盂蘭盆とは、安居の最終日に僧侶が他の僧の前に於いて自ら犯した罪を指摘されて、懺悔するという「自恣」という儀式の後で、亡き親への追善を願って、僧侶達に盆器に持った食事を差し上げて供養するのが通例であったことから、「盂蘭盆」という儀式が残ったとされる。

後に中国で盂蘭盆会の儀式が導入されるが、その際に『仏説盂蘭盆経』(『大正蔵』巻16所収)という偽経が制作された。この経典は、布施の功徳を先祖供養に結びつけて説くために、“孝”を重んじる中国や日本で重用された。内容は、目連尊者が死んだ母親が苦しんでいるのを、修行で得た神通力を用いて発見し、それを仏陀へ相談し、その教えに従って安居を終える際の僧侶達への食事を供養したところ、その功徳で母親が救われるという福徳を得たという。

そこで、曹洞宗でも全国諸寺院では盛んに施食会や盂蘭盆会が行われているが、曹洞宗では『甘露門』という名前の教典を読む。この教典は江戸時代の曹洞宗の学僧・面山瑞方禅師が校正したテキストが元になっている。経中では、仏法僧の三宝に奉って加護を頂戴し、そして餓鬼を供養する願いを発し、諸々の効果のある陀羅尼という呪文を唱える。そこでは、餓鬼を呼び寄せ⇒餓鬼はノドが小さくて食べ物が入らないために、そのノドを大きく開き⇒その開いたノドに仏の功徳でもって智慧の味が付いた食べ物を供養し⇒甘露の法味をもって一切の苦を除き⇒毘盧遮那仏の心へと到り⇒五如来を呼び出して⇒菩提心を発して修行へ到らせ⇒菩薩が受持するべき戒律を授け⇒修行するべき楼閣へ安住させて⇒全ての諸仏へ結縁して悟りの世界に入る、という内容である。

もし、檀那寺・菩提寺などで施食会の供養に会われた方は、是非こうしたことを行っているのだということをご理解いただきたい。それから、曹洞宗では一時的な供養のみならず、朝・昼の食事の時には「折水」や「生飯(昼食のみ)」などの儀式によって、常に山河大地に生きる一切の生き物を供養している。我々僧侶は「応量器(鉢盂)」という器を用いて食事をするが、その作法を定めた『赴粥飯法』に於いて、道元禅師は「次出生、以右手大指頭指取飯七粒、安鉢刷柄上、或安鉢単之縁。凡出生飯不過七粒、餅麺等類不過如半銭大」と述べて、自らの器からご飯であれば七粒、麺であれば銭の半分程度の大きさを供養するように述べられた。なお、この「生飯」は、食事を給仕する係(浄人)が集めて、「生飯台」に置いておく。これを鳥などが食べる。

さて、今回は施食会供養・盂蘭盆会供養について若干論じてみた。こうした行持とはただ行うだけではなく、やはり参加した1人1人が心を込めて供養することが必要である。もしお寺などから案内が来た場合は、積極的に参加し、また来ない場合にはお寺に聞くなどして、供養に参加するようにしていただきたい。拙寺では、8月中旬に実施予定である。

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