具体的には以下の通りである。
我昔より造る所の諸の悪業は、皆無始の貪瞋癡に由る、
身語意より生ずる所、一切我れ今皆懺悔す。
私共が昔より造れる多くの罪は皆この三毒煩悩から出たものである。それは身か口か心かによつてやつたことである、一切私は今すべてを懺悔しますと云ふことであります。
前掲同著、52~53頁
つまり、「広懺悔」と書いてあるのは、「別懺悔」に対応する表現であり、三業によるあらゆる罪相を懺悔するものである。椎尾先生は、このような方法は本来、大雑把で未だ不十分であるとするが、大乗教はこれをやると指摘している。つまりは、懺悔文を唱えるだけということになるだろう。その点、江戸時代の見解からも理解することが出来る。
第四懺悔、是れ亦汝等先づ懺悔の意味を呑込せて、次に其文を授るなり。其時汝等誠を凝して、自分が口まねをして懺悔するなり。
顕了上人『浄土宗円頓戒玄談』「第六 略して戒義の十二門を弁ずる事」、『続浄土宗全書』第9巻・349頁上段
この顕了上人(?~1831)は江戸時代後期の浄土宗の学僧であった。そこで、浄土宗の「授菩薩戒儀」は天台宗の作法を踏襲して、いわゆる「十二門」で行うのであるが、それを提唱して上記のように示した。内容からすれば、まずは懺悔の意味をよく説いて納得させ、その上で「文(懺悔文)」を授けるといっている。
つまり、基本は懺悔文読誦のみであったことになる。それで、やはり浄土宗的と思える文脈がある。
法然上人の念仏は、愚なるものが、書物を見てハツキリ解るやうになつた、百年の暗がりも蝋燭の一灯により明るくなつた、永劫の闇が南無阿弥陀仏の光に輝かされて明るくなつた、これは自分の力で明るうされたと云ふのではない、たゞ南無阿弥陀仏によつて、念々称名常懺悔と進みゆく念仏であります。朝に昼に夕に念仏は日を距てず、時と離れず、念々に懺悔してゆくのでありますから、不完全なる私も自ら懺悔しうるのであります。たゞ仏のお力の中に懺悔するのでありますから如何なる凡夫にも出来うるのであります。(懺悔文同唱――十念授与)
椎尾先生前掲同著、54~55頁
上記のような思想が、法然上人の頃からずっと行われてきたかは当方には分からない。だが、もし上記の通りであれば、今ここで必死になって懺悔する必要は無くなる。それは念仏に任せてしまい、後は懺悔文を唱えるくらいで「広懺悔」すれば良いのである。どうも、この辺が浄土宗の懺悔法の特殊性かと判断出来ると思われる。
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