つらつら日暮らし

慧明院日灯『草山要路会註』「住処第五」の参究

今回採り上げる文献について端的にいえば、近世の日蓮宗に於ける規範的内容を持っている。

今回は、「住処第五」という項目を参究してみたい。

 叙して曰く、居は気を移し、物は心を転ず。
 象は厩に依て変じ、
 蚤は頭に処て黒し、
 是れ賢者の三たび隣を遷す所以なり。
 大なる哉、居乎択ばざるべけんや。

 智者大師曰く、好処に三有り。
 一には深山人を絶するの処、意を恣にして観ず、念念道に在り、毀誉起こらず、是の処、最勝なり。是を上士と為す。
 二には頭陀蘭若の処、聚落を離るること、極めて近きは三・四里、此れ則ち放牧の声絶し、諸の憒鬧無し、煩悩を覚策するに、是の処を次と為す。
 三には白衣住処に遠き清浄伽藍の中、是の処を下と為す。

 若し三処を離れて余は則ち不可なり。白衣の斎邑は、此れ過を招き、恥を来たす、市辺の鬧寺は、復た宜しき所に非ず、身を安んじて道に入るには、必ず須く選択すべし。慎んで率爾にすること勿れ。
    『要路』「住処第五」本文のみ抽出して訓読、同書17丁裏~19丁裏


これは、文字通り修行者の「住処」について示したものである。最初の「叙」が、本書の見解であるが、住む場所によって気が移り、物によって修行者自身の心が転ずるとしつつ、象や蚤の例を元に、「賢者の三たび隣を遷す」重要さを示している。いうまでもなくこれは、「孟母三遷」の一事を指している。よって、住む場所をしっかりと選ぶべきだとするのである。

そこで、以下は各章同様、天台智者大師(智顗)の見解を引いているが、典拠は『摩訶止観』巻4下である。智顗は修行者が住むのに良い場所を3箇所指摘し、まずは深山にて人が来ないような場所である。何故良いかといえば、本人がそれをしたいくらい観念の瞑想修行が可能であり、毀誉褒貶が起きないからだという。この場所を選ぶのは上士である。そして、毀誉褒貶は、人間関係に由来するが、そうなると他者からの承認などを要するように思い込んだり、一々の他者の言動に心が揺れ動くところである。だが、智顗はそれらは修行に邪魔だとしているのである。

中士については、頭陀修行を行い、阿蘭若に住む人であるという。集落から3~4里ほど離れたところで、放牧の声すら絶え、一切の五月蠅さが無い場所であるという。

下士については、白衣(在家者)の住処から遠い清浄なる伽藍(寺院)の中に住むことであるという。山岳に単独にある寺院などが、該当するといえようか。

いつも思うが、上士に該当するのは、禅宗であれば、大梅法常禅師が該当する。例えば、以下の一説が知られている。

 一池の荷葉衣尽きること無し、数樹の松花食すれども余り有り。
 剛して世人に住処を知られれば、又た茅舎を移して深居に入る。
    『五灯会元』巻3「明州大梅山法常禅師」章


このように、大梅禅師は大梅山の中に暮らしており、この様子から、人との関わりも断った深山の修行であったことは理解できる。

それから、智顗はこの3箇所以外は修行にならないとしており、特に在家者の村は過を招くとし、そういう場所にある寺も良くないとしている。自らの身を安んじ、仏道に入るためには住む場所をよく選択するべきだという。焦ってはならない、としている。

まずは、『草山要路』の3つの章を見てみた。他は学道に必要な心構えなどを示す章であるから、最近採り上げるには方向性が違うので、また、仏教の規範などを採り上げない時期に到ったときに、また見てみたい。

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