それで、ちょっと目先を変えて、それこそ、ニーチェの『善悪の彼岸』はいつからあの邦題になったのか?と思っていたのだが、どうも、1915年(大正4)のは見つけた。早稲田大学教授・金子馬治氏訳で早稲田大学出版会から刊行されている。その後に続くように、1923年(大正12)に生田長江が新潮社から訳書を刊行しており、そちらには現在まで良く知られた副題「将来の哲学への序曲」も記載されている(金子氏訳には見えなかった)。
ドイツ語の原題は“Jenseits von Gut und Bose”で、この「Jenseits」は「向こう」という意味なのだが、「von」がついて三格になるので、直訳すると、「善悪の向こうに」ということになるのかな。そして、これを「彼岸」と翻訳(意訳)したといえる。確かに、「彼方」というと、ただどこか遠くという意味に取られてしまうけれども、「彼岸」にはそれこそ「涅槃」という意味が付加され、或る種の理想(=宗教的な理想)を具備した用語として、適切だったともいえる。
金子氏訳の冒頭には、訳者解説があるのだが、この「彼岸」についての指摘は何も無かった。
以下、本題。
此岸とは、身邪なり。彼岸とは、身邪を滅するなり。
此岸とは、阿闍世の国界なり。彼岸とは、毘沙王の国界なり。
此岸とは、波旬の国界なり。彼岸とは、如来の境界なり。
『増一阿含経』巻23・増上品第三十一
ちょっと面白い対比の箇所を見出したので、紹介しておきたい。今我々が生きている迷いの世界に喩えられる「此岸」と、仏陀の世界・境界である「彼岸」について、三つの例を挙げて対比している。まず、最初の対比とは、「身邪」についての内容で、つまり、我々の誤った行いを指している。此岸では、行いは誤ったままであり、彼岸では、誤った行いが滅せられている。確かに明確である。
また、続くのはどのような王がその地を治めているか、という話である。此岸とは阿闍世王の土地だという。阿闍世とは、釈尊在世時にマガダ国を収めていた王であり、父のビンビサーラを殺害したという。そして、釈尊の従兄弟であるデーヴァダッタに唆されて、釈尊を弾圧しようとしたともいう。つまりは悪王ということだ。一方の毘沙王とは、当時仏教に帰依をしていた5人の王の1人とされ(『増一阿含経』巻25参照)、まさしく彼岸の国だといえる。なお、この頃、阿闍世の振る舞いはまさに悪だったのだろう。
3つ目は「波旬」とされるが、これは「魔物」のことで、仏道修行を妨げる存在のことをいう。つまり、この世界は様々な誘惑に充ちており、修行がよく妨げられることをいう。一方、彼岸とは如来の境界である。まさしく彼岸であるといえる。
さて、この3つの対比だが、文脈としては、智慧をもって一切の事象を見るときに、どのように見えるか?という話なのであった。知恵をもって観れば、全ては彼岸となり、観なければ、此岸に過ぎない。それを、実践面・世俗的な喩え・宗教的な喩え、という三段階で指し示したものだといえよう。
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