つらつら日暮らし

宗門授戒会の三師について

授戒会とは、曹洞宗最大の教化行持であり、多くの人々に対して曹洞宗の僧侶が保持している仏祖正伝菩薩戒を授ける儀式である。それで、三師というのは、戒師・教授師・引請師のことである。この三師が、儀式の中でどういう位置付けになるのかは、勿論授戒会に随喜された宗侶の方であればよくご存じのことだと思うが、最近読んでいる水野道秀老師『授戒の心得』(其中堂書店・明治28年)に解説されるところであったので、確認してみたい。

本宗授戒の戒師は、現前師と称して、本宗の僧侶伝法相続以上の人にして、仏祖正伝の大戒を面授面稟せるものは、戒師として其の戒法を転伝弘通して衆生済度の任あるものなり。而して戒師は昔時霊山会上にありて、斯の大戒を授けられたる釈迦仏の位置にして、則はち今の戒師に釈迦牟尼仏として、其の相伝したる仏戒を授け玉ふものなれば、其の戒法を受る弟子たる者、謹みて、恭敬の心を以て此の師を尊重すべし。
    前掲同著、3頁、漢字は現在通用のものに改める


まずは「戒師」である。それで、菩薩戒授与に於ける三師が、伝統的に釈尊・文殊菩薩・弥勒菩薩であることは、以前の【菩薩戒授与に於ける三師について】で述べた通りだが、それを受けて、上記の通りに示されたものと思われる。

また、上記内容からは、釈尊を宗門としてどう捉えるかも理解出来ると思われる。それは、大戒を面授したものが戒師であって、それが同時に釈尊だということにもなる。現在の『曹洞宗宗憲』の「伝統」同様の見解になるといえようか。更に、戒師が釈尊と同じなのだから、恭敬せよという見解も説得力がある。

本宗授戒の教授師は、昔時霊山会上の華蔵海にありて、当来下生し玉ふ弥勒菩薩は、教授師と為りて釈尊大戒授受し玉ふ法席を補弼し玉ひし勝躅によりて、今に教授師を設くることなれば、則ち教授師は弥勒菩薩と心得て尊重の念、恭敬の心は闕く可からざるなり。
    前掲同著、4頁、同上


「霊山会上の華蔵海」の話だが、これは『華厳経』で説かれるものであり、本書の著者である水野老師はその文脈を受けて示されたものと思われる。そして、釈尊=戒師同様に、弥勒菩薩=教授師として尊重すべき旨が示されている。

本宗授戒の引請師は、昔時霊山会上釈尊の大会にありては、文殊菩薩羯磨師として大戒受授の法席に臨み、釈尊の教化を翼賛し玉へし方躅に依りて勤めらるゝものなれば、大戒を受る戒弟は、吾等が文殊菩薩と心得て恭敬に怠らざるべし。
    前掲同著、4頁


さて、実は見ておきたかったのは、この箇所であった。以前から、菩薩戒受授に於ける三師は、戒師・教授師・羯磨師であるが、現状の宗門授戒会の三師は、戒師・教授師・引請師である。羯磨師と引請師、本来なら役割が違うはずで、どうやって会通させているのかが気になっていた。本書では、特に理由を書いているわけではないが、会通はさせている。

羯磨師は本来、授戒の場に於ける司会者の役目だったと聞いているけれども、引請師は、上記一節にある通り、授戒の翼賛のような立場ではある。そうなると、拙僧の疑問の解明は、やはり「引請師」の位置付けの解明を行う必要があると理解出来た。

仏教 - ブログ村ハッシュタグ
#仏教
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事