大科第五に、維那、金を鳴らし、大衆に告ぐ、合掌警念して発願して曰く、
敬白、諸の仏子等、合掌至心して聴け、
此れは是れ娑婆世界、一四天下、南閻浮提、大日本国、五畿七道の中、某の道、某の国、某の郡、某の郷、某の村、某の里、某の仏像前にして、我等、本師釈迦牟尼仏道法の弟子、在家・出家の菩薩なり。久しく生死の海に沈淪して、恒に六趣の苦を受く、此れ即ち如来の出世に遇わず、頓教一乗の戒を受けざるに依る。
今生に若し厭離生死の心を発さず、頓教一乗の戒を受けずんば、恐らくは還て三途の火坑に入りなん。故に今身に於いて、同じく三種の三宝を崇して、頓教円実の戒を受持し、不散不失にして、能所共に理事頓教の戒蔵を宣伝すべし。
又、此の功徳を以て天龍八部を資益し、天地十二神・皇帝南北両京・華洛洛陽扶風太原・京兆鎮護の諸の大明神に法楽し、乃至、六十余州権実の神祇威光自在ならしめん。
亦、是れ、今上皇帝聖化無窮、太皇太后皇太妃、聖寿を祝延したてまつる、文部官僚、禄位円成を資崇し、国泰かに民安く、福、万歳を延べ、一華一香、一飯一菜、少水一薪、一紙半銭、与力奉事、人を勧めて聴聞せしむ。一切の檀那、悉地円満、師僧父母、主君恩所、六親眷属、滅罪生善し、見聞随喜し、乃至、誹謗逆縁の宿障氷のごとく冸け、三悪四趣の罪業霜のごとく消し、我等願くは苦の娑婆を出て、諸衆生と同じく安楽国に生じて、無生忍を証得し、大菩提を成就せん〈唱竟て鳴槌一下す〉。
『続浄土宗全書』巻15・74頁下段~75頁上段、訓読は原典に従いつつ当方
上記内容について、いわゆる「発願」ではあるが、具体的には「発願文」の体裁で式に組み込まれていると理解して良い。ただし、ここで注意しなくてはならないのは、例えば、中国天台宗の荊溪湛然『授菩薩戒儀』は、いわゆる「十二門」の儀礼であるが、その中、「発願」に相当するのは、「第五発心」の項目であり、その際、前提となっているのは、「四弘誓願」である。然るに、上記内容は、四弘誓願を一切考慮していない。
それどころか、具体的な地域や場所を示しての発願であるし、更には自らが苦界に沈んでいる理由を、「此れ即ち如来の出世に遇わず、頓教一乗の戒を受けざるに依る」としている。転ずれば、如來の出世に遇うか、頓教一乗の戒を受ければ、そういった状態から解脱出来るという方途を示しているようにも思う。
それから、今身に於いて、その戒を受持することが出来れば、後は、その功徳をもって、天竜などの諸天善神に回向し、更には皇帝(要するに天皇)へも回向などを行っているが、最終的な目的は「我等願くは苦の娑婆を出て、諸衆生と同じく安楽国に生じて、無生忍を証得し、大菩提を成就せん」となっている。
安楽国とは、いわゆる極楽浄土のことであるので、いわば極楽に往生し、阿弥陀仏のお導きによって、無生法忍を得て、大菩提を成就することを目指した内容である。なお、後の註釈書を見ても、この一段への註釈は極めて少なく、ほとんど見られない。どうも、そのような位置付けだったと理解すべきなのだろう。
【参考資料】
・宗書保存会『続浄土宗全書』巻15、大正14年
・浄土布薩式(新編浄土宗大辞典web版)
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