つらつら日暮らし

新連載開始(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・1)

まず、『南海寄帰伝』とは、中国の義浄(635~713)が戒律を求めて自ら趣いたインドや南海諸国で見聞した、現地僧侶の生活法や作法などを集めたものとされ、名称について詳しくは『大唐南海寄帰内法伝』といい、略して『南海寄帰伝』などという。

今回からの連載だが、本書の全体で19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思ったので、記事にしたい。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。文章はそれほど長いわけではないが、一々を検討しながらになると、10回程度の連載になる見込みである。

  十九受戒軌則
 西国出家の軌儀、咸悉、具に聖制有り、広くは百一羯磨の如し。此には但だ略して方隅を指す。
 諸もろの発心し出家せんと欲する者の有れば、情の所楽に随て、一師の辺に到て、其の本意を陳て、師、乃ち方便して其の難事を問ふ、謂く父母を害するに非ざる等、難事、既に無れば、言を許して摂受す。既に摂受し已りて、或いは旬月を経て其をして解息せしむ。
 師、乃ち為に五種の学処を授くるを、鄔波索迦と名づく。此れ自りの前は、七衆の数に非ず。此は是れ、創て仏法に入るの基なり。
    『南海寄帰伝』巻3・1丁表、原漢文、段落等は当方で付す


まず、上記一節から読み解いていきたい。ここでいう「西国」というのは、中国から見た西方、いわゆるインドなどのことである。そこで、インドでの出家の儀軌には、全て聖制、つまり釈尊が定めた決まりがあるとしているのである。そこで、「百一羯磨」というのは、羯磨とは会議による決議のことで、その際、羯磨師という司会者から、比丘達に問い尋ねる回数などで、決議の軽重が定まっているのだが、「白羯磨二十四、白二羯磨四十七、白四羯磨三十」(『大沙門百一羯磨法[』)という数え方も存在している。また、中国ではその一部のみを行っているともしている。

それから、発心して出家をしたいと願う者は、本人の願いに随って、或る師匠(和上)の下に行き、その本意を述べるべきだという。その際、師匠は、難事を聞くという。これは、「遮難」の「難」である。よって、五逆罪などの罪を犯したことがあるかどうかを尋ねるのである。そのようなことが無ければ、和上はその発心者の思いを受け取り、10日か1ヶ月ほど時間を空けるともいう。この辺は、落ち着いて、再度出家の意志の有無を確認する時間であったということになるだろう。

そのような落ち着く時間を与えてからも、なお、出家の意志が堅い場合には、まず、和上はこの者のために、「五種の学処」を授けるというが、これは「在家五戒」のことである。何故ならば、これを受けた者を、「鄔波索迦」と名づけるというが、これは一般的な漢訳で「優婆塞」のことである。また、優婆塞になる前は、「七衆」に入らないという。転ずれば、優婆塞になれば、「初めて仏法に入る」基本になるのである。

「五戒」を受けることが、仏法に入る初めになるというのは、後の時代に中国や日本で作られた出家作法にも見られる概念(例えば、『禅苑清規』巻9「沙弥受戒法」でも、「五戒とは、入法の初因、三塗を出づるの元首と為す」とある)であるから、広く理解されていたことになるだろう。

まずは以上とするが、次回以降もこの一章を続けて見ていきたいと思う。

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