つらつら日暮らし

彼岸という季語について(令和3年度秋)

それにしても、彼岸会は春と秋と2回行われるわけだが、昨日紹介した、小林一茶の彼岸会の俳句は、両方とも「春」となっていた。あれ?「彼岸」は春の季語なのか?と思って、ちょっと調べてみたら、どうもそうらしい。

一般的には春の季語とのこと。まぁ、旧暦で考えれば、2月に彼岸会だったので、明確に春ではある。

それでは、秋の彼岸会には対応している季語はあるのだろうか?と思っていたら、すぐに解答が見つかった。それは、「秋彼岸」及びこれに類する表現であれば、秋の彼岸を示すという。

よって、例えば、春の彼岸会であれば「ぼたもち」だったのが、秋の彼岸会であれば「おはぎ」になるように、お供え物の一部についての季節感も、十分に俳句で表現可能だということが分かる。

ただし、この辺も調べてみたが、小林一茶などは、彼岸会の俳句は基本、全て春のものらしい。そうなると、かつて、彼岸会については春が基本で、秋についてはそれほど重視されていなかったのかな?という感じもする。

そこで、もし、秋の彼岸会がなかった場合、一体旧暦の8月では、どのような仏教行事が行われていたのだろうか?例えば、栄西禅師『興禅護国論』「第八禅宗支目門」では、中国禅宗の叢林で行われていた年中行事を示すが、「七八九月般若会」と、簡単に書いてあるのみで、これは『大般若経』を用いた御祈祷を伴う供養であろうから、特段この季節を象徴しているわけではない。

江戸時代の日蓮宗で編集された『草山清規』を見てみたが、こちらも「八月」は何も書かれておらず、行事のエアーポケット的状況であったことが分かる。そうなると、彼岸会でもあればと思ったが、それについては、こういう規範には載ってきにくい性格の行事なので、結果としては余り盛り上がらないという理解で良いのかと思う。

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