つらつら日暮らし

雑 第二十五 其4(富永仲基『出定後語』を学ぶ31)

ここ数回の記事は、最後の一章「雑」を採り上げています。本章は「雑」の字の通りで、他に一章を立てるほどが無い程度の内容でもって、様々な事柄を富永仲基が論じたものです。本当に種々雑多な内容ですが、見ていると20前後の節に分けられそうなので、一つ一つ見ていきたいと思います。

字母、大品の羅字、華厳多に作る、亦た異部の名字然り、説者、訳の誤りを以てする者は、非なり。
    岩波書店『日本思想大系43』95頁を参照して拙僧が訓読した


ここでいわれる「字母」というのは、アルファベットのような一字一字のことを指し、富永は、『大品般若経』中に見える「羅」について、『華厳経』では「多」にしており、他の文献も同様に、学派によって解釈が異なっているとしたのです。これを訳し間違いとするのは問題だということになるのでしょう。拙僧自身、悉曇学を学んでいないので、これが何を意味しているのか、すぐには分からないのですが、今後、機会があれば学んでみたいものです。

法華の信解品、窮子を誘化するを以て、愚衆には、先ず大を語るべからざるに譬う。是れ但だ法華を張りて、以て他を圧するの言、以て五時に譬うるに非ず。天台の学者、其の驚愕称怨を以て、之を華厳の如聾・如唖に合わす、然而、在初の父子、相失相見し、乃ち合う所無し。是れ、何ぞや。凡そ譬諭の道、従容として之を為して、以て其の趣きを為す。必ずしも糊塗して一一、合を取らずして可なり。且つ也た、従前の説法を以て、皆方便と為すは、則ち先ず付窮子の珍宝庫蔵も、意えば、亦た贋物のみ。是を以て之を解すは、非なり。又た二十年の譬えの如きも、亦た唯だ其の曠久相い離るるを言うのみ。合う所有るに非ず。然るに、後の説者は、他方遷就して、以て之を合わす、笑うべきのみ。
    同上


こちらですが、譬喩が巧みな経典(「法華七喩」とも)と評される『妙法蓮華経』に於ける「譬喩」への解釈を巡っての言説です。「信解品」というのは第四品に該当し、「窮子を誘化する」の話とは、莫大な財宝を持つ長者がいたのですが、この者には自分を捨てていなくなってしまった子供がおり、財法を幾ら貯め込んでも、子供が気掛かりで心安まる暇は無かったようです。しかし、或る日、その長者の屋敷の門前に、経済的に困窮した姿でその子供がやってきたのです。

長者はすぐに自分の子供だと分かりましたが、その子供は父のことが分かりませんでした。そして、余りに自分と違いすぎる長者の身なりや威厳に恐れをなした子供はその場を逃げ出しました。しかし、長者は使いをやって呼び寄せようとしました。子供は、自分が殺されるのではないかと恐怖していたのですが、そのことを知った長者は、まずはトイレ掃除の仕事を与え、屋敷の中に居場所を作ったのでした。

この子供はその後努力し、20年ほども経ったときには、長者の信頼を得て財産の管理までするようになっていたとされます。そして、長者は自分の余命が幾ばくも無いと知った時、周りに人を集め、この子供が自分の実子であることを皆に告げ、その財産を全て授けたのでした。

これだけで終わればめでたしめでたしという話になりますが、富永はこの一件について、かたくなな声聞の者には、いきなり大乗の教えを説いても分からないから、徐々に慣れさせていくべきだという喩えに過ぎないとしました。よって、天台宗で説く教判五時説の根拠になるような文章では無く、また、『華厳経』が高尚すぎて、誰が聞いても唖然とした様子などと合揉するようなこともあるが、それもおかしな話で、ただ当初親子だった2人が、生き別れになった後再会する話でしかないものと合わさるはずがない、としています。

そして、譬喩については、従容として説かれることで、その趣が分かるとしています。それを無理矢理塗り固めるようにして、他の説と会わせる必要は無いともしています。

更には、『法華経』以前の説法を全て方便だとすることは、長者が貧しい息子に対して見せた、宝物庫についても偽物になってしまうだろう、とするのです。そして、20年の喩えについても、2人が相隔たっていたことを示すのみで、仏陀の説法の直接の意義を示すものではないと喝破したのです。

つまり、『法華経』の譬喩は確かに巧みだが、それに余計なこじつけをすることは誤りだ、ということになるでしょう。

そして、面白いなぁと思うのは、単純な「大乗非仏説」なら、『法華経』や『華厳経』をただ否定して終わりになるところ、ちゃんとその解釈法まで示すということは、富永の立場は後人が思うようなものではないということです。

【参考資料】

・石田瑞麿訳『出定後語』、中公バックス日本の名著18『富永仲基・石田梅岩』1984年
・水田紀久編『出定後語』、岩波日本思想大系43『富永仲基・山片蟠桃』1973年

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