つらつら日暮らし

明庵栄西禅師に於ける比丘戒と菩薩戒について

ちょっとした備忘録的記事である。タイトルの通りなのだが、日本に臨済宗黄竜派の法系を伝えた明庵栄西禅師(1141~1215)に於ける比丘戒と菩薩戒との関係について、考えてみたい。それで、良く知られているのは、以下の一節であろう。

時に、炎宋淳熙十四年丁未の歳なり。即ち天台山に登り万年禅寺に憩いて、堂頭和尚敞禅師に投じて師と為す。参禅して道を問い、頗る臨済の宗風を伝う。四分戒を誦し、菩薩戒を誦して已に畢んぬ。遂に宋の紹熙二年辛亥の歳の秋七月に帰国す。
    栄西禅師『興禅護国論』「第五宗派血派門」


中国へ留学し、虚庵懐敞禅師に参じた栄西禅師は、中国で『四分律』に基づく戒を「誦」し、菩薩戒も「誦」したという。これは、菩薩戒の戒本を唱えて師である虚庵懐敞から受けたと理解出来るだろうか。「誦」することが、どういう意味を持つのか、まだよく理解できていないところではあるが、『興禅護国論』を見る限り、虚庵禅師から授けられたのは「菩薩戒」のようである。

 夫れ昔、釈迦老人、将に円寂せんと欲する時、涅盤妙心正法眼蔵を以て、摩訶迦葉に付属し、乃至、嫡嫡相承して予に至る。今、此の法を以て汝に付属す。汝、当に護持して、其の祖印を佩して、帰国し末世に布化し、衆生に開示して、以て正法の命を継ぐべし。
 又、汝に袈裟を授く。大師、昔、伝衣して法信と為す。而も本来無物を表し、然るに六祖に至りて衣、止めて伝えず。其の風、絶えると雖も、今、外国の法信の為に、汝に僧伽梨を授くるのみ。又、菩薩戒を授け、拄杖・応器、衲子の道具、一も留めず付属し畢んぬ。
    『興禅護国論』「第五宗派血派門」


以上である。なお、上記の通り『興禅護国論』を見ても、具体的な物としての『血脈』の授与については論じられていないが、仏祖の系譜を「血脈」として論じて(上記と同じ「第五宗派血脈文」)はいる。また、「法信(法への信)」を示すための具体的な物は、「僧伽梨衣(九条袈裟)」を授けていることも分かる。そして、上記内容を素直に読み解くと、虚庵禅師からの付属は、「正法眼蔵涅槃妙心」と、「衲子の道具」が主であって、どこか「菩薩戒」はその付け足しのような印象を得る。

ただし、その理由も理解出来るのは、伝統的にも「菩薩戒」を併せて授けたなどという記録は出てこないのである。一方で、『興禅護国論』では、以下のような指摘がある。

十一、俗人の菩薩戒を持す。十二、童子の五戒を持す。〈中略〉十七、帝王の必ず菩薩戒を受く。
    『興禅護国論』「第九大国説話門」


このように、中国に於ける民衆や為政者のあり方として、受戒していた様子を伝えている。ただし、ここでも「菩薩戒」を基本とする。俗人相手の授戒であれば、それは当然ではあるが、一応までに確認した。それから、別の文献では以下のような指摘が見られる。

 第三に二戒の法とは、比丘戒とは声聞の具足戒、四部の律蔵の説、是れなり。十師五師に依て、得戒す。謂く四波羅夷、十三僧残、二不定法、三十尼薩耆、九十波夜提、四波羅提提舎尼、一百衆学法、七滅諍法なり。合して二百五十戒なり。並に是れ小乗の学処なり。自調自度を以て実際涅槃を証す。但だ未だ無上菩提に到らず。菩薩、若し二乗地に退堕せば、則ち菩薩の死と名づくるなり。然るときは則ち、今は其の情を取らず。只だ其の戒を取る。謂わく末代の道人多く大乗に趣くが故に、過を離れ非を防ぐを以て要と為し、以て同じく之を学すに応ず。天台止観に云く、出家の菩薩は六和十利、声聞と同等なり〈云云〉。
 菩薩戒とは梵網の三聚十重四十八軽、是れなり。其の心、其の戒に従て、純ら大悲般若の情を発し、衆生に於いて憎愛の差別を無くし、仏法に於いて偏円の分別を離れ、応に行ずべきを速やかに行じ、応に学すべきを忽ちに学すべし。是非を競諍せずんば只だ菩薩の意地に進歩し、応に人天の福田と為るべし。是れ菩薩戒なり。末代の浅近の智慧を以て、仏法の雄雌を諍こと莫れ。頃に有る大徳、自ら戒蔵を看読して云く、山門別授の菩薩戒は正に非ずして破して云く、遠く七仏遺流を截つ〈云云〉親しく此の言を聞て哀慟極まり無し。其の人已に魔網に堕す。千仏も能く救うこと無きか。
    栄西禅師『出家大綱』


このように、『出家大綱』の中で、比丘戒(声聞戒)と菩薩戒とを比較しながら、特に、天台宗の比叡山延暦寺で行われていた「山門別授の菩薩戒(いわゆる大乗戒壇)」の是非について論じたものである。上記の文章は、引用の途中であり、この後も詳しく議論されるところではあるのだが、それはまた、何かの機会に於いて検討したいと思っている。特に、栄西禅師自身が聞いたという、菩薩戒のみの授戒への批判については、当時の日本の戒律論として興味がある。時代的には解脱房貞慶上人や覚盛上人などによる東大寺での自誓受戒による戒律復興(1236年)よりも前の話だからである。

それから、この一節から、栄西禅師は菩薩戒を主として考えておられることが分かる。ただし、形式的に声聞戒を受けること自体は否定していないかもしれない。それは、「菩薩、若し二乗地に退堕せば、則ち菩薩の死と名づくるなり。然るときは則ち、今は其の情を取らず。只だ其の戒を取る」からも理解出来よう。つまりは、菩薩が二乗(声聞・縁覚)になってしまうと、菩薩の死となるが、そのような情(自調自度)を採用せずに、ただその戒律のみ受けるとしているためである。

よって、栄西禅師は比丘戒について、受ける可能性は残したけれども、基本は菩薩戒のみを重視していたという結論になるであろう。

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