そこで、明治時代にどのように参照されていたのかを学ぶために、敢えて明治時代に刊行された慈雲尊者の教えを見ている。例えば、以下の一節などはどうか。
戒律 沙門の通式なり、仏弟子たる者必ず七衆あり、今時諸宗の我宗にては、戒学いらぬと云ふ者あるは僻事なり、
又、某師所立の円頓戒等は大悲菩薩の弁の如し、聖教量に違す、
近代別行血脈など云ふもの出来て、達磨所得など云ふ者あり、
皆後人の杜撰なり、
支那諸伝記にもなし、
又、某宗の布薩戒、或人の三段十六条戒など準知すべし、
三昧耶戒は瑜伽者別途の事なり、
亦、中古の人の我規條は、大乗小乗の律と同にもあらず、異にもあらずなど云ふも如何にぞや、
大迦葉尊者だに、仏所説の如く受持すと仰せられ、梵網にも遮那も誦じ玉ひ、釈迦も誦じ玉ふとあれば、仏々同道の戒なり、後人の安排は用なきことなり、智者察すべし、左右仏在世を手本とすべきことなり、総じて大乗小乗の宗旨にて、戒律も袈裟も違ふと云ふは僻事なり、
今例へば戒律は公儀の掟の如く、貴賤共に守らねばならぬことにして、大乗小乗は心地の沙汰なり、
例へば人の智慧の如し、智者も眼は横にして鼻は竪なり、同じ横の眼に違ふことなきなり、大乗小乗の戒も其通りなり、同じく殺生せぬ内に差別あり、共に婬戒を持つ内に差別あるなり、
但、比丘・沙弥の袈裟に、割截・縵衣等の差別あるは、是れ貴賤衣服の如し、
「〇諸宗の心得」、『慈雲大和尚法語集』巻上(河内葛城山高貴寺蔵版・明治28年)72~74頁
いわゆる、日本で中世から近世にかけて勃興・流行したであろう諸宗派の戒律について、バッサリ切り捨てている。切り捨て方だが、複数見える。まず、そもそも戒学が要らないという僧侶については、問答無用という感じである。
その上で、「某師」となっているが、これは伝教大師最澄のことだろうか?円頓戒については、「大悲菩薩の弁」とあるが、当方の拙い調べでは、まだ良く分からない。今後の課題である。
それから、近代(当時の)「別行血脈」だが、これは「血脈授与」に重きを置いた儀礼を意味している。そうなると、当時禅宗で行われていた授戒会が相当するといえよう。何故ならば、「達磨所得」ともあるからである。
ただし、慈雲尊者はこれらを「皆後人の杜撰なり」とし、中国の諸伝記にも無いと、やはりバッサリ切り捨てている。
それ以外だが、「布薩戒」というのは浄土宗で行われていたものである。また、分からないのが、「或人の三段十六条戒」だが、これは、黄檗宗を指していたものか。おそらく「三段」は「三壇」の表記が正しく、法蔵『伝授三壇弘戒法儀』のことか、明代末期の作法を受けた黄檗宗『弘戒法儀』であろう。「十六条戒」とあるが、同作法では、「三帰・十善戒・三聚浄戒・十重禁戒」と授ける。ここから「十善戒」を除いた部分を指しているのだろう。
また、真言宗の「三昧耶戒」については「瑜伽者別途の事」とあるが、これも、少しく学びが必要だ。この用語は、密教部の経典・論書に見られるものだが、いわゆる密教系の「施食儀軌」などに見られるものであるから、それを指したものだろうか。
それから、「亦、中古の人の我規條は、大乗小乗の律と同にもあらず、異にもあらずなど云ふも如何にぞや」だが、これはおそらく、中国禅宗の百丈懐海禅師(生没年不詳)の言葉、「吾が宗する所、大小乗に局るに非ずも、大小乗に異ならず。当に、博約折中して、制範を設けて、務めるが宜しきなり」(『禅門規式』)のことであろう。
そして、まとめとして、戒律は公儀の掟のように、あらゆる宗派で守られなくてはならないとしつつ、ただし、その開遮持犯にはそれぞれの宗派で違いがあるとしているのである。以上、まだ当方で理解しなくてはならない言葉は残るものの、全体としてはこのような教えである。
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