ようやく見出したのが以下の一節。
一心戒、軽重の差無きが故に。
『大乗理趣六波羅蜜多経』巻5「浄戒波羅蜜多品第六」
・・・これだけ???いや、中国の註釈書には幾つか出ているけど、やっぱり珍しい。なお、上記一節だが、「菩薩摩訶薩所受禁戒六十五種」とある、六十五種戒の1つなのである。よって、前後の文脈などからも、「一心戒」は理解出来ない。これはただ、この紹介のみで終わる。
それで、後代の天台宗で「一心戒」を使った事例は、以下の通りである。
惟るに、一金剛宝戒、即ち是れ所謂、虚空不動戒なり。
亦た仏戒と名づく、仮令、五篇も亦た仏戒と名づく。但だ是れ小乗当分の言なり。須らく以て前の三教、用て三乗に配すべきなり。
亦た一乗戒と名づく。
亦た仏子戒と名づく。
亦た無為戒と名づく。
亦た心地戒と名づく。
亦た清浄妙戒と名づく。
亦た得正法戒と名づく。
亦た一心戒と名づく。
亦た菩提心戒と名づく。
亦た一実相戒と名づく。
亦た中道具足戒と名づく。
亦た具足諸波羅蜜戒と名づく。
亦た具足無上道戒等と名づくるなり〈以上、皆、理戒と名づく。亦た属乗を判ずれば別戒、同なりと雖も、初心、未だ達せず。是れ異と為すのみ〉。
敬光尊者『円戒指掌』巻上
敬光尊者(1740~95)は18世紀後半の天台宗の学僧である。そして、上記にも、「一心戒」と出ているのだが、『梵網経』で説かれる「金剛宝戒」を読み替えて「一心戒」としている。要するに、機能的には「一心」そのものを「戒」としたわけである。その意味では、具体的な意義を掘り下げることはしなくても良いわけである。
ところで、中世の禅僧で、「一心戒」を用いた事例がある。
又た曰わく、孝順至道の法、孝を名づけて戒と為す。達磨相伝の一心戒、豈に此れを謂うに非ざらんや。
『大通禅師語録』巻2
こちらは、臨済宗・愚中周及禅師(1323~1409)の教えである。「達磨相伝の一心戒」なんていう言い方、とても興味深いと思っていたが、本録の巻1には光定『伝述一心戒文』からの引用もあるので、その影響をまずは考えていくべきだといえよう。また、愚中禅師自身、後には中国(元代)に渡るなどし、現地で印可証明を受けたそうだが、戒は比叡山で受けたともいうので、天台宗とも縁があった人である。
そのためか、「一心戒」「一心戒蔵」などの説示が見られるのである。しかも、それを「達磨相伝」と、伝統を遡及しながら考えているところに特徴がある。ただし、愚中禅師は同時に、『華厳経』系の「三界唯一心」の思想も会通させている。そうなると、その功徳は無量となる。よって、こちらも「一心戒」については、余り厳密に内容を定めない方が良いのかもしれない。
ということで、「一心戒」の典拠となり得るべき文献と、その意義を探ってみた。
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