このようなことは幾らでも挙げることは可能だが、つまり、現段階で、我々は自らの「出家性」や「比丘性」がどのように担保されているか、分かっていないのではないか?と思えるのである。いや、これは、現代に限った問題ではない。この辺が明確にクリアになっているのは、いわゆる「声聞戒」の受戒及びその実践が生きている地域(僧伽)のみであって、日本のように、伝統的に「僧伽」が機能しなかった地域では、常にこの問題を問わねばならなかったのだ。
それで、まず問題点の方を先に挙げておきたい。現状、我々宗侶が受ける戒(出家得度式・伝戒式)については、三帰・三聚浄戒・十重禁戒の十六条戒となっているが、これをほぼそのまま在家者にも授けている(授戒会・檀信徒喪儀法)。無論、十重禁戒の「第三不貪婬戒」を、在家者に対しては「第三不邪婬戒」と「読み替え」たりはしているが、元々の『梵網経』には各戒の条文名までは入っていないことを思うと、余り意味が無い。結局、同じ戒を授けているのである。
そうなると、現状の十六条戒を受けていたとしても、それだけでは「出家性」や「比丘性」を獲得しないこととなる。そもそも、我々が重視する「菩薩戒」についてだが、これをただ受けるだけでは、属性の変容をもたらさないはずである。この場合の属性とは、例えば、出家・在家といった区分を意識しているのだが、菩薩戒を受けることは、その受けた人を「菩薩」にはするが、「在家から出家へ」という変化をもたらさないはずなのである。
仏言わく、仏子よ、人の与に受戒せしむる時は、一切の国王・王子・大臣・百官、比丘・比丘尼、信男・信女、婬男・婬女、十八梵天、六欲天子、無根・二根、黄門、奴婢、一切の鬼神を簡択することを得ざれ。尽く戒を受け得しめよ。
『梵網経』下巻「第四十摂化漏失戒」
こちらは、四十八軽戒の第四十軽戒であるが、この場合の「戒」とは菩薩戒のことであって、だからこそ、様々な階層・立場の「在家者」に加えて「比丘・比丘尼」が入っているのである。つまりは、在家は在家菩薩に、出家は出家菩薩になるのであって、在家から出家へという移動が無いはずなのである。現在の曹洞宗に於ける「伝戒式」の式法として、道元禅師所伝の『仏祖正伝菩薩戒作法』を用いるが、この作法は、先ほど述べた「属性の変化」をもたらさない。だからこそ、「四衆」を対象とした「授戒会」に転用可能だった、という見方も可能である。
しかし、そうなると、「出家性」については、どのように担保されているのか?その点で、先に挙げた「第四十軽戒」には、重要な指摘がされている。
応に教えて身に著くる所の袈裟、皆な壊色にして道と相応せしめ、皆な染むるに青・黄・赤・黒・紫色ならしめ、一切の染衣、乃至、臥具も尽く壊色を以てす。身に著くる所の衣、一切染色ならしむべし。若し、一切の国土中の国人、著くる所の衣服と、比丘は皆な応に其の俗服と異なること有り。
同上
こちらからは、比丘が俗人と着けている衣服が異なっているから比丘であるという定義がされていることが理解出来る。つまり、その人の「姿」や「持っている物」によって区別される可能性が見出されることになる。この点で、我々が検討しなくてはならないのが、道元禅師の『出家略作法』と『正法眼蔵』「受戒」巻であると思われる。後者については、撰述時期等不明ではあるが、おそらくは晩年であろう。前者については、比較的早い時期の撰述で、嘉禎3年(1237)4月15日に宇治興聖寺にて書かれたものである。
それで、何故この両著を見ていく必要があるかと言えば、両著ともに、戒の受者について、その属性の変容を促していると思われるためである。そこで、『出家略作法』の一部では、次のように式が進む。
・剃髪
・脱俗服
・授坐具
・授袈裟
・授戒作法
やや脇道に逸れるが、気になるのは「袈裟」の種類について書かれていないことである。瑩山禅師に係るという『出家授戒略作法』では三衣を授けているのに、道元禅師の場合は良く分からない(以前、拙僧はここで沙弥用の「縵衣」を授けているのではないか?と思っていた)。また、道元禅師の場合は鉢盂(応量器)も授けていない。そうなると、この作法の流れからは、「脱俗服」と「授袈裟」をもって、「出家性」を担保しているように思う。なお、「出家性」担保については、「授戒作法」の項目も併せて見ていくと分かりやすいと思う。
次に授戒作法。
次に懺悔、三帰・五戒〈尽形受〉。
次に沙弥十戒〈尽形受〉。
次に菩薩三聚浄戒〈従今身至仏身〉、
次に根本十重禁戒〈従今身至仏身〉。
『出家略作法』
上記のように、道元禅師は十六条戒のみならず、五戒・沙弥十戒も授けていることが分かるのだが、この「沙弥十戒」には注目せざるを得ない。つまり、これこそが、「出家性」を担保し得るためである。現在の曹洞宗では、出家=比丘だと思っているかもしれないが、本来は、出家=沙弥から、であった。「から」と付けたのは、声聞戒(二五〇戒)の受戒は、原理的には俗人がいきなり受けることも可能だった場合もあり、そのため、「沙弥」になることは、「比丘」に到る絶対条件では無いからである。だが、道元禅師が「沙弥十戒」を授けていたのは、沙弥=出家を意識したためであろう。
そこで、道元禅師に於いては、「出家性」について、「授袈裟」及び「沙弥十戒」で担保していた可能性が強まった。しかし、もし上記の通りであったとしても、その後、「比丘」にはどのようにしてなるのだろうか?そこで、道元禅師の以下の教えを参照しておきたい。
比丘戒をうけざる祖師かくのごとくあれども、この仏祖正伝菩薩戒うけざる祖師、いまだあらず、必ず受持するなり。
『正法眼蔵』「受戒」巻
この「受戒」巻では、菩薩戒としての十六条戒のみを授けており、「沙弥十戒」は見当たらない。しかし、もしかすると、「菩薩戒」を受けることで、比丘性を確保していたのではないか?ということである。例えば、『出家略作法』でも、「沙弥十戒」の後で「三聚浄戒・十重禁戒」という菩薩戒を授けている。ではこの「菩薩戒」でもって比丘・比丘尼としたのだろうか?また、「受戒」巻の一節を虚心坦懐に読むと、「比丘・比丘尼」という基準の他に、もう一つ「祖師」という区分があるようにも感じられてしまう。
この辺について、個人的にはまだ上手く整理出来ていない。だが、「出家性」と「比丘性」という区別を設けて種々の授戒作法を眺めてみると、以上のようなことが分かってきた。また、上記には取り上げなかった別の文脈から、「比丘性」について理解出来る可能性も見出した。今後ももう少し「比丘性」の問題を扱いたい。
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