◎三月 和名弥生と云、〔奥義抄〕に云、風雨あらたまりて草木いよいよおふるゆへに、いやおひ月といふを略せり。
三田村鳶魚先生『江戸年中行事』中公文庫・1981年、38頁
まぁ、和名としては「○○月」と呼称しないものなので、記憶に残りやすいのか、3月の和名が「弥生」というのは、知られているように思う。それで、「弥」を訓読みすると「いよいよ」と読む。「生」は「おうる(はえる)」と読むから、「いよいよおふる」という訓読みになるわけである。
で、実はこれ以上、話を広げようが無いので、何か無いかな?と思っていたら、「弥生」を使った仏教の説法があったので、それを見ておきたい。
初めの色は匂へど散りぬるをとは、春の弥生の花の空爛漫と咲きほこりたる色香のいとうつくしけれど、夜半の風に吹き散らされて、空しく塵と化し泥と消えゆく世のさまを詠ぜられたので、明日ありと思ふ心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかはで、盛者必滅会者定離でことに変り易いのは此世のならはしです、それを仏教では諸行無常と申しまして、行とは遷流の義で、この世の中のありとあらゆる一切のもの何一つとして遷り変りのないものはありませぬ。
加藤咄堂居士「いろは」、『名家仏教演説集』森江書店・明治36年、185頁
この加藤咄堂居士(本名:熊一郎、1870~1949)であるが、拙ブログでは【今日は終戦の日(令和4年度版)】という記事に登場したことがある。明治時代後半から、大正期・戦前・戦後まで仏教演説家(雄弁家)として活動した人である。当方で色々と研究もしている大内青巒居士の弟子の一人と位置付けられる。
そこで、その咄堂居士だが、上記の通り「いろは歌」について解説している。「いろは歌」とは、その作者などが不明(伝承では弘法大師空海とか、色々とあるが)ではあるが、歌の内容としては『涅槃経』で説く「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」を踏まえたものだとされる。なお、『涅槃経』にも様々な種類があるが、法顕訳の阿含部に入る『大般涅槃経』巻下などを挙げておけば良いだろう。
そして、咄堂居士はその内、「いろはにほへと、ちりぬるを」の部分を、「諸行無常」であるとし、その解説を行っている。春の弥生、いわゆる三月は、元々草木がいよいよ生える時期であり、更には春の花の空爛漫であるが、結局は風が吹けば散り、木々を彩っていた花々も、地に落ちて泥になる、というのが「いろはにほへと、ちりぬるを」の意味であるという。
この辺の捉え方は、素朴な仏教の教えとして、説かれてきたものであろう。ところが、この地に落ちた花を題材にした宗派がある。
僧云く、一夜落華の雨、満城流水香。
『宏智録』
中国の宏智正覚禅師の上堂語から引いてみた。こちらは、雨による落華がそこで終わるのでは無く、まだ香りとして城に満ちたとしている。ここなどは、容易な諸行無常論にはならない。悟りのあり方をめぐる話に展開されている。
問う、大悟底人、什麼と為てか却迷するや。
師、曰わく、破鏡重ねて照らさず、落華枝に上ること難し。
『景徳伝灯録』巻17「京兆華厳寺休静禅師」
これは、まさに禅問答で、捉え方は宗義上の諸解釈を踏まえなくてはならないが、要するに大悟した人が、どうして迷うのか、という問いだが、結論は破れた鏡は二度とは像を照らさず、枝から落ちた華は戻るのが難しい、という意味である。よって、大悟を或る種の不可逆的事象だと捉える場合は、大悟を破鏡や落華だとすることになる。一方で、衆生凡夫のあり方だと捉えると、もう少し別様になる。
それから、弥生で考えると、華が折り重なって咲いていく様子でもある。そうなると、落華は次の華に繋がることであり、そのいよいよと表現された事象は、人間的な無常観などに還元出来ない自然の豊かさでもある。だいたい、華はただ華として咲いているのであって、我々に感賞されるために咲いているのでは無い。それを思うと、弥生とは飽くなき成長への力が込められた言葉である。
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