つらつら日暮らし

『彼岸弁疑』を学ぶ⑤(令和6年春彼岸会6)

『彼岸弁疑』を学ぶ④】の続きである。

 龍樹菩薩天正験記曰く、欲界六欲天の中央、夜摩天と兜卒天との中に、大城有て名て中陽院と曰ふ。中に高楼閣有り、雲処台と号す。此の院内、年二八月七箇日の間、色界の頂、摩醯首羅天尊を上首と為し、八神并に大梵天王大歳神乃至玉女道祖等の人中天上の冥官冥衆集会して、一切善悪を註す。天尊、教勅を降し、八神三巻の勘帳を持し、三複八挍〈愚註云云、今之を略す〉して、天尊に献る。天尊覧了て、善帳を証ん為めには、宝印を指して、悪帳を証ん為めには、縛印を指す。処中の善を証ん為めには、非宝非縛の印を指す。彼の八神は、帝釈と閻王と天大将軍と、天一と、行役と、司命と、司録と、倶生の神也。
 問、彼の天尊、何由有て、二八月を以て、天の正勅を降し、天地神を召すや。
 答、阿迦尼吒天の自在尊所居の宮殿の前に、高樹有り、天生樹と名く。形、須呂の如し。春は華を開き七日有て散り、七葉七色なり。青黄赤白黒紫翠有り。秋は菓を結で七日有て落つ、七菓七色、上の如し。華開を見て中陽院に移り、落菓を見ては、本宮に還る。定て知ぬ、法爾の道理、然らしむる所也〈以上、験記〉。
 此書類雑集には、智論と引く。黠恵非学者の偽造なり。予、未だ全本を見ず、多の誤、是より起る。唯是、凡情推慶の分際にして、三明六通・本地垂迹・折伏接取等の深義を知らず、悉く書を信ぜば、書無にはしかしと云ふ誠なる哉。
    『彼岸弁疑』巻上・3丁表~4丁表、カナをかなにするなど見易く改める


いよいよ彼岸会関係文献の「本丸」に攻め込んできた感じではある。理由は、以前も紹介したことだが、本書は『和漢三才図会』に引用された。いわば、江戸時代の「辞書」に載ってきたわけで、上記文脈の影響力は強いと言って良い。

ただし、その部分はこれまで拙ブログで何度か見てきたはずなので、今回は最後の結論の部分を見ておきたい。それで、『類雑集』とは全10巻の明暦3年(1657)版がネット上で見られる(国書データベース)ので、確認したところ、『彼岸弁疑』の著者はおそらく、巻6「十四 六斎日并彼岸事」を指示していると思われる。

春秋二季の彼岸とは、智度論の意は六欲天中の夜摩天と都卒天の中間に中陽院と云ふ別所あり……
    『類雑集』巻6・57丁裏、訓読は拙僧


まず、ここで良いようだ。確かに「智度論の意」とあって、『大智度論』からの引用であるかのように思わせるが、ここは『彼岸弁疑』の言う通り、『天正験記』でなくてはならない(とはいえ、同文献もどこかで偽作されたものである)。そして、『類雑集』の著者について弁護しておくとすれば、実は『龍樹菩薩(天正)験記』の引用も同項にはあるのである。

ただ、何故か別々の文献に載っているかのような提示をしたことになる。それから、「三明六通・本地垂迹・折伏接取等の深義を知らず、悉く書を信ぜば、書無にはしかじと云ふ誠なる哉」という指摘も気になる。三明六通と折伏接取はともに、大乗仏典に見られる用語だが、「本地垂迹」は?そうか、中国天台宗の註疏などに見られる用語であるから、確かに体系化はされたのか。

結局、如来の衆生への慈悲心が、どう発露されたのか、深意を見ていくべきだというのだろう。「彼岸会」もその様子から理解すべきなのだろうが、結局は民間信仰となっており、教義との関わりについては、慎重に検討されるべきなのだろう。『彼岸弁疑』の著者は、それを求めている。

ということで、今季の彼岸会は今日で終わるが、『彼岸弁疑』の続きは秋彼岸の時に学んでみたい。

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