つらつら日暮らし

浄土宗『浄宗円頓菩薩戒』を学んでみる(3)

とりあえず、これは、以前にアップした【浄土宗『浄宗円頓菩薩戒』を学んでみる(2)】の続きである。前回の記事と同様に「十重禁戒」である。

 第六説四衆過戒 此は僧にても俗にても、戒を破りたるを、徒に人に語る事を戒むるなり、但し異見の為に、当人へ直にいふは制の外也
 第七自讃毀他戒 此は自を詞めて、他を毀ことなかれと、戒むるなり、名利を求むる心にて己が徳をいひ、他をそしる故に破戒となる、但し自讃計り毀他計なれば、罪かろし、
 第八慳惜加毀戒 此は人の来りて衣食を乞、或は法を求むるに、与ずして悪口し辱しむることなかれと、戒むるなり、但し毒なる物、又悪事にさからふとて乞ならば、与ぬがよし、惣じて与られる訳あらば、其訳を言葉和かふして断るべし、
 第九瞋心不受悔戒 此は深瞋て、人の詫言するに受ざるを戒むるなり、唯いかる計は罪かろし、又心は慈悲にて、すがたにばかりいかりをあらはせは、制の外なり、
 第十謗三宝戒 此は邪見の心にて、仏法僧をそしることなかれと、戒むるなり、若し三宝ぎらひの人あらんは、其人の気に入らんとて、口計も、仏法をそしる事を制すと、況や心よりそしるは、極重罪なりと、知るべき也、
    『浄宗円頓菩薩戒』、変体仮名は現在通用のかなに改める


「十重禁戒」の後半となる。まず、「不説過戒」とも称されるのが第六戒であるが、意義としては上記の通りで、他人の過ちなどを論うことを諫めたこととなる。ただし、面白いのは、異見であるため、当人に直接申し述べるのは、制された戒律の適用外になるという。確かに、『梵網経』本文もそういう感じではない。

また、第七であるが、いわゆる自讃毀他を戒めたものであるが、特に、名利を求めるこことで、自分自身の高徳さを自慢し、他人を謗ることを指す。ただし、自讃ばかりの時、毀他ばかりの時には、罪は軽いというが、罪は罪であるから気を付けるべきだといえる。

第八は「慳惜加毀」とあるが、他には「不慳法財戒」とも呼称されるように、教えや財物を他に渡すことを惜しんではならない、という戒律である。そうなると、「加毀」とはやや強すぎるかと思ったが、本書では、布施を乞う相手に対し、それを与えずに悪口をもって辱めることがあってはならないとしている。そして、与えるべきでは無いことは与えるべきではないとしつつも、その際には、柔らかな言葉で断るべきだという。

第九は「不瞋恚戒」とも称されるが、『梵網経』本文では、自らが怒らないという戒めの他に、他者の謝罪を受け容れる大事さも説く。その意味では、本書の「瞋心不受悔戒」は原文に近い名称といえる。なお、このように書くと、以下にも本書で定めたような名称に誤解されるかもしれないので、遅ればせながら註記しておくと、名称の典拠は天台智顗『菩薩戒義疏』となる。元々、日本の浄土宗系の円頓戒は、天台宗から相承されたものであるから、その共通点は自然なことである。

第十については、もはや説明を要しない。いわゆる「不謗三宝戒」であるし、更に何となくではなくて、心から三宝を謗った場合の罪について、「極重罪」だとしている。実際、「十重禁戒」は「不謗三宝戒」に極まるという見解は、他の文献でも見られるところであるから、これを受けておくべきだということになるのだろう。

これで、「十重禁戒」は見終わったが、本書はもう少しだけ続くので、次の記事で見ておきたい。

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