仏子よ、先ず当に法を聴き、菩薩法戒を与授すると為す。然る後に、為に菩薩の本行六入法門を説く。
仏子よ、次第に四帰法を授くと為す。帰仏、帰法、帰僧、帰戒なり。四不壊信心を得るが故に、然る後に十戒を授くと為す。不殺・不盜・不妄語・不婬・不沽酒・不説在家出家菩薩罪過・不慳・不瞋・不自讃毀他・不謗三宝、是れ十波羅夷不可悔法なり。
『瓔珞経』下巻「集散品第八」、『大正蔵』巻24・1022c
気になるのは、引用文末尾の「十波羅夷不可悔法」である。要するに、菩薩にとって、この十波羅夷は、「悔法(懺悔法)」が無いといっているのである。
ところが、このような「不可悔法」という言葉そのものは、他の文献などに見えず、何故、懺悔できないのかがよく分からないのである。無論、本来の「四波羅夷法」についての意義は分かっているが、菩薩戒が何故、懺悔できないのかが分からないのである。そこで、別の経典から、以下の一節を見ておきたい。
善学の諸仁者、是れ菩薩の十波羅提木叉なり。応当に学すべし。中に於いて一一犯ずること微塵許の如くもすべからず。何に況んや具足して十戒を犯ぜんをや。
若し犯ずること有らん者は現身に菩提心を発すことを得ず。亦、国王の位、転輪王の位を失い、亦、比丘・比丘尼の位を失い、亦、十発趣・十長養・十金剛・十地・仏性常住の妙果を失う。一切皆失って三悪道中に堕す。二劫・三劫にも父母三宝の名字を聞かず。是を以て一一に犯ずべからず。
汝等、一切の諸菩薩、今学し、当学し、已学す。是の如く十戒、応当に学して敬心に奉持すべし。八万の威儀品に当に広く明むべし。
『梵網経』下巻
これは、『瓔珞経』と同じ頃に中国で編集されたという『梵網経』であるが、懺悔について書かれているわけではないのだが、実質的には懺悔できない内容となっている。何故ならば、「若し犯ずること有らん者は現身に菩提心を発すことを得ず」とあって、菩提心を起こせないということになる。ということは、菩薩としての生命を失い、更に、「亦、比丘・比丘尼の位を失い」とあるから、菩薩比丘として生きることも出来ず、「亦、十発趣・十長養・十金剛・十地・仏性常住の妙果を失う」とあるから、菩薩として修行を重ねてきた功徳も皆失ってしまい、「一切皆失って三悪道中に堕す」とある。更には、「二劫・三劫にも父母三宝の名字を聞かず」とあるから、相当に長い期間にわたって帰依三宝すら出来ないことになる。
つまり、菩薩にとって、「波羅夷法」を犯すことは、菩薩としての生命を失うことを意味し、復帰することも出来ないことを意味しているのである。だが、菩薩戒とは、「心地戒」としての意義付けが行われる。ということは、心に於いて真に懺悔すれば良いのではないか?とすら思えるのだが、この辺はどうなのだろうか?
実は、ここに来て、菩薩波羅夷法について興味が出て来て、色々と調べてきたのだが、懺悔できないとあるため、かなり厳しい教えであるし、現当二世にわたってその影響が出ることなどからすれば、実際の声聞戒の波羅夷法よりも厳しい。ここまで厳しい戒が定められた理由について気になるのである。『梵網経』も『瓔珞経』も中国成立というが、だとすると中国で菩薩の持戒について厳しいことが求められたということか。
この辺はもう少し詳しく理解したいところだが、時間が掛かりそうだ。
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