梵網青丘疏に云く、昔来の経論、或いは坐夏と名づけ、或いは坐臘と名づけ、或いは夏臘と名づく。皆、不善方言なり。今、大唐三蔵訳に依りて云く、雨安居。
今謂へらく、是れ青丘、未だ冬安居を知らざるが故に、唯だ雨安居を取るのみ。而も混妄して、不善方言と謂へり。
案ずるに、竺土時を立するに、其の説同じからず。或いは、熱際・雨際・寒際の三時を説く。其れ三際なりと雖も、亦、日月の前却有りて、時候斉しからず。或いは四時を説くも、支那の四時と異有り。或いは最勝王経・日蔵経等、六時を説く。漸熱・盛熱・雨時・茂時・漸寒・盛寒なり。唯だ寒熱の二時、出家菩薩、頭陀すべからざるを以ての故に、之を避けて安居を制し、而も保護せしむのみ。
『面山広録』巻24「冬安居辯」、原典に従いつつ訓読
ここで、面山禅師が参照されたのは、青丘太賢『梵網経古迹記』巻2「領賓違式戒第六(第二十六軽戒)」である。なお、上記引用の通り、太賢は安居の呼称について、坐夏や坐臘を「不善方言」と見なし、「雨安居」を正しいと見ているが、面山禅師はそのことを問題視された。
まず、問題視されたのは、インドでの季節感は時期や経論によって異なっているとしている。つまり、季節は四季ではなくて、三季だとしつつ、その分け方に六時もあるという。
また、「安居の制」については、寒すぎる時期と暑い時期、頭陀が出来ないために、それを避けて安居を定めたとしている。
そうなると、面山禅師の批判は、「雨安居」のみとしたことへの批判であり、更には「坐夏」「坐臘」の表現を肯定的に扱いたいのかとも思える。詳細は今後の記事で明らかになるだろう。
#仏教
最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2016年
人気記事