小仏事〈法事次第、屏岩清規に依る〉
『伝衣石渓仏海禅師雑録』
ここで、個人的には『屏岩清規』について気になった。なお、「法事次第」とは、喪儀法の式次第を指しているようだ。まずは、その辺を下地に、これがどんな文献なのかを見ていきたい。とはいえ、この『屏岩清規』について、どの文献を意味するかは、すぐに分かってしまった。
屏岩首坐、新規を刊示して、旧板に於いて祥(詳の音通か)なり。後学を汲引す。
『叢林校定清規総要』「後題」
このように出ているので、『屏岩清規』とは、通称『校定清規』のことだと分かるわけである。この清規は、当時の禅門で行われていた諸清規を校定繕写して、元の咸淳10年(1274)に惟勉が著したもので、全2巻である。ところで、そうなると、「法事次第」との関係がどう見られるかに興味を持つが、以下のようである。
一法事次第。
・移龕
・鎖龕
・掛真
・挙哀
・奠茶
・奠湯
・対霊小參
・起龕
・門首掛真
・門首奠茶
・門首奠湯
・秉炬
・提衣
・挙骨
・入塔
・帰祖堂
・如停龕多日、或法事人多、毎日奠茶湯
『校定清規』巻下「十四 当代住持涅槃」項
これが、『校定清規』に於ける「法事次第」であるが、先に挙げた『伝衣石渓仏海禅師雑録』ではどうなっているだろうか?
第一移龕
第二鎖龕
第三掛真
第四挙哀
第五奠茶
第六奠湯
第七対霊小參
第八起龕
第九門首掛真
第十門首茶
第十一門首湯
第十二下火
第十三提衣
第十四挙骨・入骨
第十五入塔
第十六入祖堂
なるほど、確かに、『屏岩清規』に依る、とある通りで、順番は完全に一緒。よって、『屏岩清規』と『校定清規』の関係性はしっかりと理解されたことになる。ところで、「屏岩」で検索すると、以下の一節が引っかかった。
屏岩の撰する所、広略多く未だ適宜ならず。
『勅修百丈清規』巻8「一山禅師書」
このようにあるのだが、これも、『勅規』を著す際に、それまでに成立していた清規を参照する際に、『屏岩清規』が渉猟されたことを意味するものだが、この件も意識されたものだろうが、後代の註釈では以下のように書いていた。
忠曰く、屏巖は蓋し后湖の惟勉なるのみ。校定の愚極〈仏心〉跋に曰く、屏岩首座、新規を刊示して、旧板よりも詳なり、後学を汲引す、功、孰れか焉れより甚しからん〈此で止む〉、若し然らば、則ち屏岩清規、但だ是れ校定清規なり。
無著道忠禅師『勅修百丈清規左觽』巻一「禅規歴代編修」
・・・やっぱり、というか、流石に、というか、既に江戸時代の臨済宗妙心寺派が輩出した大学僧・無著道忠禅師は既に指摘されていたようである。ということで、当方の拙い調査は、初めから無著禅師の研究成果を読んでおけよ、という話で終わるのであった。
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