律宗
律宗は、戒律を守りて要行と為す。先ず月支に於いて起こるものなり。
仏、滅度の後、幾内の優婆離尊者、一夏九旬の間、八十度、高座に登りて誦如来所説の毘尼蔵を誦す。八十誦律の本文、是なり。
震旦の伝来は、後秦安帝の御宇、罽賓国の弗若多羅三蔵、王城精舍に於いて、十巻誦律五十八巻を訳出し、四分律六十巻を訳出す。其の後、也た天竺に於いて、掬多下の五部律有り。南山道宣律師、此宗を受けて三大部を盛んにす。
天平勝宝甲午、南山の孫弟、青龍寺鑑真和尚、本朝に伝来して、南都左京の東大寺に於いて戒壇を立す。又た右京招提寺を造る。
北京律は、建久五年、泉涌寺開山俊芿法師、入宋して律法を伝う。
虎関師錬『八海含蔵』、訓読は拙僧
本書は、臨済宗聖一派の虎関師錬が日本で盛んだった仏教八宗派について、その宗要をまとめたものである。上の文章については、だいたい読めばお分かりいただけるとは思うけれども、インド・中国・日本に於ける仏教の戒律の伝承を記しつつ、それが日本に於ける「律宗」の盛行にどう繋がっているかをまとめたものである。
インドに於ける記述は、釈尊の弟子であった優婆離尊者の行実を示しつつ、それが仏陀の毘尼蔵(律蔵)を良く伝えたことを示しているのである。しかも、一回の夏安居中に80回高座に登るなどして、敷衍に努めた。
中国への伝来は、弗若多羅三蔵による訳出を示している。しかし、その後、インドでは更に、五部律があったという。この辺は、【有宗 第十七(富永仲基『出定後語』を学ぶ20)】で採り上げているので、そちらをご覧いただければと思う。
また、南山道宣律師が盛んにしたのは、三大部であるという。それは、凝然大徳の『三国仏法伝通縁起』でも示されている。というか、本書と凝然大徳の文献は、何か関係があるのだろうか?どなたかの先行研究がありそうな気もするな。
それで、日本の話としては、やはり鑑真和上の一件が示され、後は、時代的に京都泉涌寺の俊芿律師の件が強調されていることを挙げることが出来よう。
なんか、余り書くことがないのだが、本書末尾に八宗派について一句が付されているので、律宗のを見ておきたい。
律宗(五篇七聚)
・・・まぁね。戒の分類ですな。
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