つらつら日暮らし

今日から秋の彼岸会(令和6年度版)

今日から一週間、秋の彼岸会となる。皆様におかれましては、お寺参り・お墓参り、とにかく善行を積んでいただき、仏縁を深くしていただくことを願う。その彼岸会に際して、次の一節を学んでみたい。

一年の内、春秋二期昼夜等分といふ好時節に、一七日を期して古来より彼岸と称して居る。これは今より千有余年以前奈良朝の頃から始つて、国内一般に行はれ来つたものなそうぢや。其本は提謂経や浄土三昧経等に依つたものでもあらうが、ツマリ寒からず熱からざる節でもあり、又農家抔も幾分か閑な時であるから、特に彼岸会と名け、一般人民をして見仏聞法の勝縁を結ばしめられたものと見える。
    森田悟由禅師「彼岸会垂示」(『永平悟由禅師法話集』鴻盟社、明治43年)


明治期の曹洞宗で指導的立場にあられた森田悟由禅師の教えである。上掲の一節は御垂示の導入の部分で、彼岸会とは何か?ということを、端的に示された内容である。森田禅師の教えを頂戴すると、そもそも彼岸会とは、春と秋、昼夜等分という良い時期に、七日間を期して行う法要だとされる。

しかも、曹洞宗に限った法要ではなくて、日本では奈良時代から始まり、全国で行われたとされる。彼岸会の根拠となる経典(実際には中国で作られた偽経だという)『提謂経』『浄土三昧経』などを挙げておられる。

森田禅師が示されているのは、ちょうどこの時期、農業の方々も時間が出来て、お寺参りが可能であるから、一般の方がお寺に来て、「見仏聞法の勝縁」を結んでいただくように願っておられる。拙僧が冒頭の如く申し上げたのは、まさしく、この時代の方々の意見を受けてのことである。見仏聞法とは、仏に見え、法を聞くということです。本来は、生身の仏陀を意味していましたが、この無仏の世であれば、仏像を見るだけでも良いと思われ、法を聞くとは、法話を聞くことである。

これらはまさに善行であり、我々によって、善い功徳をもたらす行として認識されるべきだといえよう。

ところで、彼岸会の修行、現行の『曹洞宗行持軌範』には見ることが可能だが、森田禅師が編纂に関わられた明治期の『洞上行持軌範』には「年分行持」の巻末に、「春秋二季彼岸会」という項目がある。

彼岸会の事は諸清規に見る処なし。故に本規も亦之を掲載せず。然れども朝廷已に春分秋分を以て皇霊祭を修し玉ふことなれば、僧侶は無論、旧慣に拠て二期の彼岸に臨時の法会を営み、開山世代及び檀越の亡霊を普同供養し、且つ毎日説教を修して可なり。
    『明治校訂洞上行持軌範』「年分行事」巻末「春秋二季彼岸会」、カナをかなにするなど見易く改める


このように、江戸時代までの清規には、彼岸会のことが書いていないとしているのである。そのため、『行持軌範』でも明治期に作られた最初のものには、載っていないのである(後に『昭和改訂曹洞宗行持軌範』[昭和25年]で立項された)。気になるのは、上記一節で、朝廷が春分・秋分に「皇霊祭」を行っていることを承けて、我々も行持をすべき、という立場であったことである。よって、現在の彼岸会は仏教的な民間行事に加え、明治期の政府の方針などを承けたものだといえるのである。

由来はともかく、せっかくの善行をし、徳を積む機会であるから、彼岸会を行っていただきたい。

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