童子たりし時、日に一たびの素食なり。言を出すに異有り。既に冠にして親を辞して、本府万歳寺の無相大師に事え、披削し、登戒し、毘尼を学ぶ。
一日、衆の為に台に升り、戒本を宣べて布薩し已んぬ。乃ち曰く、持犯は但だ身を律するのみ。真の解脱には非ざるなり。文に依りて解を作して、豈に聖を発せんや。是に於いて南宗を訪ね、初めて雲居・雪峯に謁して参訊勤恪す。
『景徳伝灯録』巻21
まぁ、禅僧っぽいといえばそれまでだが、いわゆる戒律の持犯について、根本的なことを述べていることが分かる。そういえば、桂琛禅師が出家した「無相大師」だが、もちろん、妙心寺の開山である関山慧玄大師のことではない。中国の無相大師である・・・誰、これ?中国の無相大師といえば、六祖慧能門下ともされる永嘉玄覚のことを指す場合もあるが、当然に年代が合わない。でもまだ、桂琛禅師が禅宗に転ずる前だから、律宗だったのかな?
まぁ、そういう人がいて、剃髪し、戒壇に登って、毘尼(戒律)を学んだというのである。それで、或る時に、大衆のために台に登って、戒本を唱えて布薩し終わった後で、「戒の持犯は、ただこの身を律するのみで、真の解脱にはならない。文献によって知解を得たところで、どうして聖人となることが出来ようか」というと、南方に行き、禅僧に参じたという。
その後、桂琛禅師は以下のような興味深い見解を発した。
釈迦仏に舌頭無し。汝、些子、便ち恁麼の点胸に如かず。若し殺盗婬の罪を論ぜば、重きと雖も猶お軽し。
前掲同著
このように、仏法を会得することが無ければ、殺盗婬の罪を幾ら論じても、これらは重戒とならず、軽いままだというのである。これは要するに、戒の持犯よりももっと重要なことがあることを示す。残念ながら、体系的な戒思想などが示されているわけでは無いので、これ以上のことは分からないが、中国禅宗史上、ちょっと珍しい「布薩」からのエピソードを紹介した次第である。
とはいえ、先の通り、無相大師会下にいた時、桂琛禅師はまだ、禅僧ではなく、律僧だった印象があるので、その辺は注意しなくてはならない。
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