つらつら日暮らし

マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・23

ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載23回目である。

23 あらゆる罰の完全な赦しを誰に与えるのかということになるなら、それは完全な人間に、ごくわずかなそのような人間にだけ与えられる。
    深井氏下掲同著・19頁


この訳文を素直に読むだけでは、完全な赦しとは限られた人間にしか与えられず、転ずれば、ほぼ全ての人間は赦しを得ること無く死ぬこととなり、煉獄などに趣くことになるのではないか?と思えてくる。そうなると、何のために赦しなのか?意味が分からなくなってくる。この連載を始めて、既に2年近くが経っているが、理屈として納得出来ない文脈が出て来た。

訳者の註記では、ルターは後にこの見解を翻して、最も完全な人間のみならず、最も不完全な人間にも与えられると述べたそうだが、それも如何なものだろうか?やはり意味が分からない。

なお、ここ数回の「赦し」については、現実の教会で行う秘蹟を指しており、つまりは、「赦し」の非万能性を説くことが目的であったと思われる。そう思うと、「完全な人間」にのみ与えられるとする方が正しいと思う。ただし、そう考えると、先に指摘したように、「赦し」ということ自体の意味が分からなくなる。これは、疑問として持っておいて、次回以降の連載記事を見ていくことにしたい。

【参考文献】
・マルティン・ルター著/深井智朗氏訳『宗教改革三大文書 付「九五箇条の提題」』講談社学術文庫・2017年
・L.チヴィスカ氏編『カトリック教会法典 羅和対訳』有斐閣・1962年
・菅原裕二氏著『教会法で知るカトリック・ライフ Q&A40』ドン・ボスコ新書・2014年
・ルイージ・サバレーゼ氏著/田中昇氏訳『解説・教会法―信仰を豊かに生きるために』フリープレス・2018年
・田中昇氏訳編『教会法から見直すカトリック生活』教友社・2019年

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