つらつら日暮らし

『妙法蓮華経』に見る「彼岸」について

今日から春の彼岸会である。彼岸会については、【彼岸会―つらつら日暮らしWiki】をご覧いただきたい。

 菩薩摩訶薩八万人あり。皆阿耨多羅三藐三菩提に於いて退転せず。皆陀羅尼を得、楽説弁才あって、不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養し、諸仏の所に於て衆の徳本を植え、常に諸仏に称歎せらるることを為、慈を以て身を修め、善く仏慧に入り、大智に通達し、彼岸に到り名称普く無量の世界に聞えて、能く無数百千の衆生を度す。
 其の名を文殊師利菩薩・観世音菩薩・得大勢菩薩・常精進菩薩・不休息菩薩・宝掌菩薩・薬王菩薩・勇施菩薩・宝月菩薩・月光菩薩・満月菩薩・大力菩薩・無量力菩薩・越三界菩薩・・陀婆羅菩薩・弥勒菩薩・宝積菩薩・導師菩薩という。是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり。
    『妙法蓮華経』「序品」


同経にはこの1箇所しか「彼岸」という用語がない。しかも、意味的には全く普通の意味で、要するに諸菩薩が様々な修行を行って、彼岸に到ったということである。よって、余り膨らましようがない。

ついでに、竺法護訳の『正法華経』でも「彼岸」の語が「応時品」「薬草品」「如来神足行品」に見えるけれども、全て意味は普通の「彼岸」である。

此の外又多くの譬へ此の品に有り。其の中に渡りに船を得たるが如くとあり。此の譬への意は、生死の大海には爾前の経は或は筏、或は小船也。生死の此岸より彼岸には付くと雖も生死の大海を渡り極楽の彼岸トツキカタシ。例せば世間の小船等カ筑紫より板東に至り、鎌倉ヨリイノ嶋ナムトヘトツケトモ唐土へ至らず。唐船は必ず日本国より震旦国に至るに障り無き也。
    日蓮聖人『薬王品得意抄』


『法華経』ということで、日蓮聖人の教えも見てみたが、いわゆる「真蹟(本当に自筆が残っている文献)」には、4本程度しかないらしい。まぁ、『法華経』に無いから仕方ないか。しかも、上記一節には「生死の此岸」と「彼岸」という対比で用いられているため、一般的な「彼岸」である。

それにしても、「彼岸」という言葉について、この一週間でちょっと考えてみたい。彼岸会だけに。

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