十九年癸亥、年三十、二月八日の明星出づる時、朗然として覚悟し、無上道を成ず。
『歴代三宝記』巻1
・・・あれ?「2月8日」になってるぞ。ということで、実は、釈尊の成道の日付は、良く分かっていなかったようなのだが、中国でも、特に宋代以降の禅宗が「臘月八日」説を取り入れ、その影響からか、禅宗が本格的に伝来した鎌倉時代以降、日本でも12月8日の成道会が行われていくようになるのである。
そこで、今日は釈尊の成道に即して、興味深い言葉を伝えている禅僧がいたので、見てみたい。
釈迦老子の如きは、初め正覚山前に在りて、挙頭し、明星の出現を見て、忽然として悟道す。
遂に、乃ち歎じて曰わく、「奇なる哉、一切の衆生、如来の智慧徳相を具有す。但だ妄想執著を以て而も証得せず。謂わく上、十方諸仏に至り、下、六道四生含蠢蠕動に至るまで、我が悟処に於いて、平等を以て印す。一印印定して、更に差別無し」。
『大慧普覚禅師語録』巻16「普説」
中国臨済宗の大慧宗杲禅師の言葉である。以上のように、釈尊の成道の場面を仰っておられるのだが、その際の釈尊の言葉について、当方がこれまで知らない言葉を伝えておられる。
簡単に内容を申し上げると、釈尊が明星の出現を見たところ、忽然として悟道したという。そして、その境涯を感歎しつつ、「不思議なことだが、一切の衆生は皆、如来の智慧と、善き姿を具有している。ただし、衆生は妄想・執着があるので、証得していない。それは、十方の諸仏から、六道に生きるものまで、我が悟りのうちに平等に印を付す。それには差別があることはない」というものであった。
それで、気になったのはこの文章の典拠だが、どうも圭峰宗密『注華厳法界観門』の裴休による序であることが分かった。宗密にしても、裴休にしても、唐代の人であるから、大慧禅師よりは余程早い時代の人である。よって、おそらくはこれを読まれたものだろう。更に裴休の原文を読めば、明らかに『華厳経』の思想を承けたものとなっている。
そのためか、宏智正覚禅師などは、この一節を「華厳経を挙す」(『宏智広録』巻2)とまで述べているけれども、おそらくは『華厳経』系の註釈書に載っていたためかとも思う。
ところで、この悟りの言葉について、大慧禅師は「爾るに看よ、黄面の老子、纔かに悟了すれば、便ち見得すること此の如く広大なり」と評している。つまり、仏心の普遍なる様子をしっかりと悟ったからこそ、一切の事象を映す鏡のようになるのである。この壮大さは、確かに『華厳経』系だともいえよう。
ということで、今日は釈尊成道会である。その成道の結果、我々もまた、その平等なる悟りの功徳に浴して、智慧徳相を具有していることに気付かされるのである。後は、本人がそれを納得するだけだと言える。
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