一 一
〇 〇
こうすると、人の目と眉毛に見えるためである。さて、「目」と聞けば、やはりこの日は「眼」について参究をしておきたいところである。すると、こんな一節を見付けた。
恒に有情を悲念し、愛護すること愛眼するが如し,
彼の真実に住するが為に、必ず当に成仏することを得べし。
『菩提行経』「護戒品第三」
仏教者にとって、愛眼を愛護することとは、有情(衆生:生きとし生けるもの)について、慈悲の念を持つことである。そして、有情への慈悲を持つという真実に住すれば、必ず成仏できると説いているのである。
ところで、そもそもこの一品は、「護戒品」という名前の通り、「護」が課題となっている。
我、云何んが修行せん、修行は唯だ護心なるのみ、
是の故に我れ観心して、恒時に而も護と作す。
同上
こちらは、修行としての護心、つまりは観心に言及されており、しかも、観心が「護」だとしている。その意味では、対象を良く観ることが、「護」になるといえる。
我、心を守護せんと欲し、合掌して今、専ら作し、
心の念念の中、一切の方便の護なり。
同上
心の守護とは、合掌し、心の念念の中で、方便の護という。これなどは、仏道に契った心念を維持することにより、一切の衆生を護し、一切の方便の護だという。この方便は、一切の衆生を護することとなる。
一昼一夜に於いて、之を各おの三時に分けて、
行道して普く懺悔し、仏の菩提心に住す。
菩提心自ら住して、亦た他をして獲得せしめ、
仏子学戒に住す、一心に是の如き持す。
同上
ここから、具体的な修行のことも話しておきたいが、一昼一夜に於いて、それぞれを三時に分けるから、1日6度の懺悔をすれば、仏の菩提心に住する。また、他者に菩提心を得させ、仏子が学戒(戒を学ぶこと)に住し、一心に懺悔・学戒、そして菩提心に住することで、「護」や「持」が成立するのである。
ここから、先ほども、「観心」「念念」といった言葉が出て来たが、常に対象に対して愛護の念を持つこと、それが大事なのである。今日は「目の愛護デー」、目に対して常に愛護の念を持つという時、それこそスマホなどが与える影響も考えておくべきなのだろう。
#仏教