その意義についてはまた、何らかの機会に学んでもいいと思うが、個人的に気になったのは『三啓経』というタイトルについてである。
無常経一巻〈亦、三啓経と名づく、大足元年九月二十三日、東都大福先寺に於いて訳す〉
『開元釈教録』巻9
以上の通り、義浄訳の『無常経』は『三啓経』と呼ばれたという。『無常経』であれば、諸行無常の法を示す教えとして理解出来るが、『三啓経』とは何を意味しているのか、文字を見ただけでは良く分からない。そこで、まずはその辺から明らかにしていきたい。
仏、諸もろの苾芻に告げ、「今従り已往に、我れ、汝等の吟を作し、声を詠じて経を誦する法を聴す」と。
仏、聴許し已りて、諸もろの苾芻衆、吟を作して声を詠じて経法を誦し、及び以て読経し、教を受け事を白する、亦た皆な是の如し。
給孤長者、因みに寺中に入るに、合寺の僧の音声喧雑なるを見て、白して言わく、「聖者よ、今、此の伽藍、先は法宇と為るも、今日、変じて乾闥婆城と作る」。
時に、諸もろの苾芻、縁を以て仏に白す、仏言わく、「苾芻、吟を作し声を詠じて諸経法を誦し、及び以て読経し教えを請け事を白すべからず、皆な応に作すべからず。然らば二事有りて、吟を作し声を詠ぜよ、一に謂わく大師の徳を讃え、二に謂わく三啓経を誦す、余は皆な合せず」。
義浄訳『根本説一切有部毘奈耶雑事』巻4「第一門第四子摂頌之余」
これは、少し興味深い内容である。なお、文中に給孤長者(いわゆるスダッタ長者)が登場しているが、上記の話はこのスダッタが原因だったりする。前半は略してしまったが、この文章の前にスダッタが、仏教以外の宗教の者が、非常に素晴らしい音声や節でお唱えをしているのを聞き、一方で、仏教の聖者達は寂しい声の様子であった。
そのため、釈尊に願い出て、仏教の聖者達も、素晴らしい音声や節でもって読経などをすることを許可して欲しいと申し上げたところ、釈尊は黙然としていたという(つまり、許可された)。
そこで、上記の通り、釈尊は、比丘達に、これから、読経などの時に吟詠して良いと許可したのである。そのため、比丘達が吟詠して読経などをしていたところ、その寺に来ていたスダッタ長者が、気を悪くした。どうも、皆、好き勝手に全ての経文などを吟詠してしまったので、大変な不快な音声となってしまい、スダッタは、「この前まで、ここは法宇(法の道理がある建物)だったのに、今日は乾闥婆(帝釈天に使える伎楽を司る神)の城になってしまった」と歎いたという。
すると、そのことを比丘達が釈尊に報告すると、釈尊は、全ての経典などを吟詠してはならず、「大師(釈尊)の徳を讃える」時と、『三啓経』と詠む時だけは吟詠して良いと、定めたのであった。
つまり、『三啓経』とは、吟詠が許された特別な経典であったことが分かる。
さて、ということで、後は『三啓経』という経典名の由来だが、意外と書いている文脈は見当たらなかった。そうなると、経典の内容から読み解くしかないのだが、その辺は意外とすぐに分かった気がする。『三啓経』には以下のようにある。
三種の法有り、諸もろの世間に於いて、是れ愛すべからず、是れ光沢せず、是れ念ずべからず、是れ称意せず、何ものをか三と為すや、謂わく、老・病・死なり。
つまり、世間では「三種の法」について、愛したり、念じたりしないとし、それを「老・病・死」だとしている。つまりは、「老・病・死」について啓発することで、無常であり、敗壊不安の法である我々自身の様子を、よくよく知るように促したのである。これが『三啓経』なのだろう・・・とか思っていたら、『大正蔵』巻85に『仏説無常三啓経』という、良く似た経典が入っていた。
内容を見ると、義浄訳の『三啓経』と良く似ている部分もあるけど、何か、似せて作った感もある。そうしたら、その巻末に「初後の讃歎、乃ち是れ、尊者馬鳴、経の意を取りて集めて造る。中の是の正経、金口の説く所、事に三開有るが故に三啓と云うなり」とあって、前後の伽陀の作者が、「馬鳴尊者」であることと、経典部分の内容から、「三啓」という名称が出来たことなどを述べている。
要するに、当方の推測であっていたということになるのだが、義浄訳の『三啓経』とこの『無常三啓経』の相関関係が分からなかったので、また、機会を得て学んでみたい。
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