昨日から江戸時代の真言宗・諦忍妙竜律師の『空華談叢』巻1に収録されている「彼岸」という文章を見ているので、更に学んでおきたい。
代々の撰集にその歌多し、
源氏物語あげまきの巻にも、廿六日は彼岸のはてにて吉日なりければ、と書り、
簠簋内伝にも彼岸七日間、日杳に薬師瑠璃殿上を離れ、西方弥陀上品蓮台に傾くと云へり、
為康の拾遺往生伝の中にも、二月・八月比岸と云語あり、
東鑑第十四にも、今日彼岸の初日なり、と云語あり、
二季の彼岸を作善の人する事、其由来久し、
彼岸とは生死の此岸に対比するの語なる故に、涅槃の義なり、
涅槃は是菩提の義なり、
「彼岸」項、諦忍律師『空華談叢』巻1、カナをかなにするなど見易く改める
以上の内容だが、諦忍律師が平安期以降の文献で、彼岸会に関すると思われる文脈で集めたものを紹介している。まずは、紫式部『源氏物語』については、第四七帖「総角(あげまき)」の中に出ているという。ただ、どうも『源氏物語』本文では、「二十八日の、彼岸の果てにて、吉き日なりければ」とあるものもあり、日付がずれている・・・理由は不明。
それから、『簠簋内伝(読み方は「ほきないでん」)』とは、かの陰陽師・安倍晴明の口伝であるらしい。当方は、この辺、全く調べたことがないので分からなかった。諦忍律師の博覧強記ぶりに驚くばかりである。そして、同書の巻下に「二季彼岸事」が出ていて、そこに諦忍律師が引用した文章が確認されたので、これはこの通りであろう。なお、今後(というか、来年度?)機会を得て、安倍晴明の『簠簋内伝』の記事を見てみたいと思う。
また、三善為康『拾遺往生伝』にも、「二月・八月比岸と云語あり」というが、同書の中には複数の箇所で関連する用語の使用が確認された。
それから、『東鑑』は、要するに『吾妻鏡』のことである。表題には、幾つかの表記法があったようだが、ここでは上記の通りに表記されている。それで、同書の巻14・建久5年(1194)の項目で、閏8月2日には確かに「今日彼岸初日也」とあるので、ここを指しているのだろう。
そして、これらの見解を承けて諦忍律師は「二季の彼岸を作善の人する事、其由来久し」とまとめたのである。
ところで、もう一つ気になるのが、「彼岸」という語句の定義についてである。ここでは、生死の此岸に対照的だから、「涅槃の義」だとし、また、その涅槃を「菩提の義」だとしている。要するに、仏の価値に基づくものだという見解だが、仏事自体はこの世界で行われるわけで、理念的価値のみ「彼岸」に置くわけにも行かないので、結果として、名称の由来は曖昧だということになる。
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