問うて曰く、優婆塞の五戒、幾ばくか是れ実罪か、幾ばくか是れ遮罪か。
答えて曰く、四は是れ実罪、飲酒の一戒は是れ遮罪なり。飲酒は所以に四罪と同類の結を得て、五戒と為すものなり。以て飲酒は是れ放逸の本なり、能く四戒を犯す。迦葉仏の時の如きは、優婆塞有りて、飲酒するを以ての故に、他婦と邪婬し、他衆を盗殺す。
他の人、問うて言わく、「何を以ての故に爾るや」。
答えて言く、「作さず」。
酒乱を以ての故に、一時に能く四戒を破る。有以飲酒を以ての故有りて、能く四逆と作す。唯だ破僧することを能わざるのみ。宿業に非ずと雖も、狂乱の報有るは、飲酒を以ての故に、迷惑倒乱す〈中略〉又た酒乱なるが故に、正業の坐禅、誦経、衆事の佐助を廃失す。実罪に非ずと雖も、是の因縁を以て、実罪と同じくす。
『大方便仏報恩経』「優波離品第八」
「実罪」と「遮罪」について改めて考えてみよう。おそらくだが、「実罪」とは「性罪」とも表記されるもので、これは仏教以外の世間でも罪となることである。例えば、優婆塞・優婆夷という在家信者が受け、守るべき「五戒」であれば、不殺生・不偸盗・不妄語、そして不邪婬(この場合は、性犯罪の意味で採っておきたい)が該当する。ところが、不飲酒のみは、それ自体は罪とはならない(もちろん、飲酒した後の行為について制限されている。例えば、飲酒後、醒めない状態での自動車等の運転は禁止されている)。
つまりは、この場合も「実罪」とは、それ自体が罪となる行為だが、「遮罪」については、何らかの理由があって仏陀が制した行為だということになる。そして、上記の経典では、その理由(経分別)も書かれているが、結局、飲酒によって酔っ払い、他の「実罪」を一度に犯すことになったためであるという。
よって、遮罪としての飲酒とは、実罪に至る近道であるが故に制定されたことが分かる。
ところで、上記の内容だが、『薩婆多毘尼毘婆沙』巻1「総序戒法異名等」と共通している。本経典と同論との関係は見た目明らかなるも、今の当方にはまだ、十分に論じるだけの知見が集まっていない。ただ、上記の事実のみ紹介させていただきたい。
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