大科第七 問遮(続き)
二には、生身の父を殺さざるや否や。
答えて曰く、否なり。
私に曰く、父は是れ玄位と為す。精を与て相ひ接せしむ。設ひ世の財宝田畠を与えず、養育の愛を施さざると雖も、多生曠劫にも受け難き人身を受くるの恩、一日に億万恒河沙の骨髄を捨つと雖も、豈に報謝の一分にも足らんや。若し一念も父に於いて害心を起さば、三宝善神遠く去て、総て出離の期を無らん。何に況や口に死せよと云ひ、手を下して殺害せんをや。
『続浄土宗全書』巻15・77頁、訓読は原典に従いつつ当方
前回の続きで、「七定業(七逆罪)」の2番目である。ところで、今回調べていて思ったのは、「七定業」という言い方はかなり珍しく、漢訳仏典一般には見られないものである。通常は、曹洞宗の祖師方も用いる「七逆(七逆罪)」が多いと思う。
それはさておき、その2番目は「殺父」である。いわば、現世での肉親を殺害したことがあるかどうかを尋ねるものだが、基本は当然「否」とならなくてはならない。まず、それは良いのだが、問題は「私に曰く」以下である。
まず、父を玄位とするというのは、「黒」の位置付けということか?陰陽説とかも関係あるのだろうか?ちょっと調べただけでは分からなかった。それから、父親から、子供としての財産などを相続出来なくても、この世界に人身を受けたのは、父親からの恩であるとし、よって、その報謝は容易ではないほどだとしている。
ましてや、父親のことを害しようなどとしてはならず、心に想ったり、口にしたりすることも否定されている。いわば、身口意の三業で、「殺父」は否定され、それをすれば三宝善神も去っていくという。ここだけ採れば、少なくとも本書の作者(伝承では法然上人だが、違うとされる)は、三宝善神の加護が、修行時などに必要だと考えていたのだろうか。
【参考資料】
・宗書保存会『続浄土宗全書』巻15、大正14年
・浄土布薩式(新編浄土宗大辞典web版)
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