つらつら日暮らし

三聚浄戒の意義に関する一視点(3)

これは、既にアップした【(2)】の続きの記事というか、同じ視点で書いた別の記事である。今回は、江戸時代初期の真言宗の学僧・浄厳律師の考えを学んでみたい。

  〔第二〕通別二受期限の事
 凡そ菩薩戒に通受あり、別受あり。
 別受というは、五戒・八戒・十戒・具足戒なり。
 是は声聞に共ずる故に、尽形寿を限とす、
 通受というは、三聚浄戒なり、
 所謂、
 五戒等を摂律儀戒とし、
 瑜伽・梵網等の諸戒を摂善法戒・饒益有情戒として、尽未来際を期限とす〈尽未来際というは、仏に成までの事なり〉、
 是故に発す所の願も遠く来際を期するなり、故に生生世世に仏種を断ぜず、在在処処に正法を弘て、普く人天の師と作るべし、かりそめの事に非ず、貴むべし、貴むべし、
    浄厳律師『菩薩戒諺註』版本、2丁表~裏、カナをかなにするなど見易く改める


これは、菩薩戒に於いて、通受と別受があるという話である。この場合の、通受というのは、全てに通じて受けることであり、別受とは、個別に受けるという話である。

そして、この場合、「菩薩戒に」としている通り、あくまでも大乗菩薩僧として受けるべきこと、という前提で話が進められている。

まずは「別受」だが、「五戒・八戒・十戒・具足戒なり」とあるが、いわゆる在家五戒・八斎戒・沙弥十戒・比丘二百五十戒などをその時々に応じて、個別に受けることをいう。菩薩が、大乗菩薩戒のみで良い、という話とは一線を画し、必要に応じて、声聞戒を受けるということになる。

また、声聞戒であるから、「尽形寿」といって、この一回の人生のみで受ける戒でもある。

それから、「通受」とあるのは、この場合「三聚浄戒」を受けることで、他の戒を通じて受けることであり、特に、三聚浄戒は「摂律儀戒・摂善法戒・摂衆生戒(饒益有情戒)」となるが、上記の通り、他の戒を配当している。

・摂律儀戒⇒「五戒等」とあるが、「五戒・八戒・十戒・具足戒」のことであろう。つまり、律儀としての声聞戒を配当している。
・摂善法戒・摂衆生戒⇒「瑜伽・梵網等の諸戒」としているが、いわゆる瑜伽戒(四重四十二軽戒)と梵網戒(十重四十八軽戒)を配当しており、菩薩戒を指す。そのため、「尽未来際を期限とす〈尽未来際というは、仏に成までの事なり〉」とある。これは、「今身より仏身に至るまで」ということである。

さて、以上の通り、戒については声聞戒と菩薩戒を両方共に重視する真言宗系の発想であることが分かる。

また、最後に説かれているのは、誓願である。これも、「尽未来際」を期限とする。つまりは、「生生世世に仏種を断ぜず、在在処処に正法を弘」むとある通りで、あらゆる時間・空間に亘って、誓願の実現を期して努力するのである。

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